2009年4月27日月曜日

政宗の祖母はいわき生まれ


戦国大名伊達政宗の祖母・栽松院(「裁松院」と表記する資料もあるが、墓碑に従う)の終焉の地を訪ねる、第47回いわき地域学會巡検が4月25日に行われた。栽松院は今のいわき市好間町の生まれ。亡くなったのは今の仙台市青葉区根白石。2つの地はなんとなく地形的に似通っている。栽松院は「ふるさと」に抱かれて死んだのだ、と実感できた。

ざっと500年前、栽松院は戦国大名岩城重隆の長女として、いわき市好間町大舘に生まれた。そこに岩城家の本拠、飯野平城があった。幼名を久保姫という。

久保姫はやがて伊達晴宗に嫁する。政略結婚だ。略奪結婚だったという説もある。長男鶴千代丸は岩城家との約束にしたがって岩城家の後継ぎ(親隆)となり、次男輝宗が伊達家を継ぐ。その子供、つまり久保姫の孫・政宗が次の代になって名をはせる。

当然、伊達家にもいろいろあった。が、祖母は孫がかわいい。孫も祖母を愛慕する。戦う男たちを支えるのは盲愛、偏愛を含めて、父を、夫を、子を、孫を愛する女たちだ。とりわけNHKの大河ドラマ「天地人」を見ながら感じるのは、同時代に培われた政宗と栽松院(久保姫)の深いつながり。それもあって、いわき地域学會の巡検が担当者によって企画されたのだろう。

祖母と孫――そんな観点から政宗の祖母の久保姫、いや栽松院に光が当てられるといいのだがと、いわきの人間は考える。

栽松院の墓は仙台市泉区根白石の白石城址内にある。泉ケ岳の麓だ。菩提寺の宝積寺が明治維新で廃寺になったあとは、近くの満興寺に栽松院、夫・晴宗、孫・政宗の位牌が安置された。この寺は政宗が墓参に来たときの休憩所だったという。

大型連休初日。あいにくの雨がかえって幸いしたか、ETC利用の車列もなく、全体に予定より1時間早くスケジュールを消化することができた。

満興寺では、栽松院のふるさとからやって来たというので、資料と茶菓子を用意して歓迎してくれた。一行約30人は位牌に焼香し、手を合わせて栽松院の在りし日に思いをはせた=写真

一行はこのあと墓にもうで、伊達と岩城の深いつながりを思いながら、あらためて根白石と好間との風景が似ていることを胸に刻んだのだった。

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