いわき市の夏井川で冬を越したコハクチョウは、翼をけがして飛べない3羽の残留組を除いて北へ帰った。小川町三島では4月に入っても数十羽が滞留していたが、先の日曜日(4月12日)にはさすがに2羽に減っていた。いくら居心地がよくても留鳥ではないのだから、さっさと帰ればいいのに――そばの県道を通るたびに眉をしかめたものだった。
ワイワイガヤガヤしていた大集団が去って、もとの静かな川に戻ったとはいうものの、川を見るたびにぽっかりと穴があいたような感じを抱く。まだまだ大集団の残像がまなこの奥に刻印されているらしい。
平中神谷の調練場をねぐらにしている残留組は、古い順に「左助」「左吉」「左七」。去年はこれに傷病気味の幼鳥「さくら」が加わった。「さくら」は、夏には飛べるまでに回復し、秋に仲間が飛来すると早速、合流した。そして、この春、無事に北へ帰って行った。
残留組の3羽はいつまで一緒にいるだろう――案じて見ていたら、先週金曜日(4月10日)の夕方、「左助」が行動を起こした。下流へ向かってどんどん泳いでいく。例によって放浪・孤独癖が出たのか。翌朝、調練場には2羽しかいなかった。「左助」は戻って来なかった。
きのう(4月15日)早朝、うまい具合に雨が上がったので、自転車で「左助」を捜しに行った。「左助」は河口近くの左岸にいた。「白鳥おじさん」のMさんにえさをもらって食べ終えたばかりらしい。ヨシ原の広がる右岸へそろりと泳ぎ出すところだった。留鳥のカルガモも、カラスも「左助」の周りに群らがっていた。
ほかには川船が1隻。川の中央にとどまって、老人とおぼしき人が水中に沈めた木の枝と籠を引き揚げてはなにかやっていた=写真。カニ漁か。釣りも、網漁も、籠漁も経験ゼロ、そちらの方面には全く知識がない。こうして地元の人間と夏井川のかかわりを目の当たりにするのは楽しい。川の研究材料が増えるというものだ。
河口はまだ砂で閉塞されたままだった。この河口を営巣地とするコアジサシが間もなくやって来る。5月からはそのために河口が立ち入り禁止になる。夏井川はそれまでに河口の砂除去工事が済んで太平洋と直結しているだろうか。
ワイワイガヤガヤしていた大集団が去って、もとの静かな川に戻ったとはいうものの、川を見るたびにぽっかりと穴があいたような感じを抱く。まだまだ大集団の残像がまなこの奥に刻印されているらしい。
平中神谷の調練場をねぐらにしている残留組は、古い順に「左助」「左吉」「左七」。去年はこれに傷病気味の幼鳥「さくら」が加わった。「さくら」は、夏には飛べるまでに回復し、秋に仲間が飛来すると早速、合流した。そして、この春、無事に北へ帰って行った。
残留組の3羽はいつまで一緒にいるだろう――案じて見ていたら、先週金曜日(4月10日)の夕方、「左助」が行動を起こした。下流へ向かってどんどん泳いでいく。例によって放浪・孤独癖が出たのか。翌朝、調練場には2羽しかいなかった。「左助」は戻って来なかった。
きのう(4月15日)早朝、うまい具合に雨が上がったので、自転車で「左助」を捜しに行った。「左助」は河口近くの左岸にいた。「白鳥おじさん」のMさんにえさをもらって食べ終えたばかりらしい。ヨシ原の広がる右岸へそろりと泳ぎ出すところだった。留鳥のカルガモも、カラスも「左助」の周りに群らがっていた。
ほかには川船が1隻。川の中央にとどまって、老人とおぼしき人が水中に沈めた木の枝と籠を引き揚げてはなにかやっていた=写真。カニ漁か。釣りも、網漁も、籠漁も経験ゼロ、そちらの方面には全く知識がない。こうして地元の人間と夏井川のかかわりを目の当たりにするのは楽しい。川の研究材料が増えるというものだ。
河口はまだ砂で閉塞されたままだった。この河口を営巣地とするコアジサシが間もなくやって来る。5月からはそのために河口が立ち入り禁止になる。夏井川はそれまでに河口の砂除去工事が済んで太平洋と直結しているだろうか。
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