いわきキノコ同好会の会報第14号が出た。毎回寄稿していた白瀬露石さんの名前がない。元教員仲間の天野和風(和雄)さんが白瀬さんを偲ぶ句を寄せている。
野馬追の緋(ひ)の母衣(ほろ)眩(まぶ)し騎馬の列
大西日浴び若武者の戻りたる
山鯨(やまくじら)捌(さば)き鉈(なた)の刃毀(こぼ)したる
白瀬さんは相馬出身。相馬の野馬追を一緒に観覧したのだろうか。山鯨はいうまでもなく、イノシシのこと。白瀬さんは銃猟もした。天野さんも参加したイノシシ狩りのあとの光景か。
同じ相馬出身の故斎藤孝さんの遺稿集『石森山の菌類』から、「はじめに」「アラゲキクラゲ」「サンコタケ」「ハタケシメジ」が再録された。斎藤さんが撮影した写真の一部も「キノコギャラリー」として紹介されている。これが素晴らしい。斎藤さんが特に力を入れていた変形菌と冬虫夏草14種が、ボケやブレもなくシャープにとらえられている=写真。
変形菌はクダホコリ、ムシホコリ、マンジュウホコリ、ガマグチホコリ、タマツノホコリ、フンホコリ、冬虫夏草はハチタケ、ハナサナギタケ、アリタケ、コガネムシタンポタケ、スズメガタケ、カメムシタケ、ヤンマタケ、オサムシタケ。
スズメガタケとヤンマタケは撮影経験があるが、ほかは未見の種類ばかりだ。斎藤さんの「キノコ目」には脱帽するしかない。もっともっと長生きしてほしかった。
会報にはこのほか、「平成20年度のキノコ中毒」「市内で発生した『ヒラタケ白こぶ病』」「観察会記録」などが載っている。私も「磐城蘭土紀行」に書いたキノコ関連記事のうち3本を再掲した。いずれ総合図書館の郷土資料に加わると思うので、興味のある方はそちらへどうぞ。
野馬追の緋(ひ)の母衣(ほろ)眩(まぶ)し騎馬の列
大西日浴び若武者の戻りたる
山鯨(やまくじら)捌(さば)き鉈(なた)の刃毀(こぼ)したる
白瀬さんは相馬出身。相馬の野馬追を一緒に観覧したのだろうか。山鯨はいうまでもなく、イノシシのこと。白瀬さんは銃猟もした。天野さんも参加したイノシシ狩りのあとの光景か。
同じ相馬出身の故斎藤孝さんの遺稿集『石森山の菌類』から、「はじめに」「アラゲキクラゲ」「サンコタケ」「ハタケシメジ」が再録された。斎藤さんが撮影した写真の一部も「キノコギャラリー」として紹介されている。これが素晴らしい。斎藤さんが特に力を入れていた変形菌と冬虫夏草14種が、ボケやブレもなくシャープにとらえられている=写真。
変形菌はクダホコリ、ムシホコリ、マンジュウホコリ、ガマグチホコリ、タマツノホコリ、フンホコリ、冬虫夏草はハチタケ、ハナサナギタケ、アリタケ、コガネムシタンポタケ、スズメガタケ、カメムシタケ、ヤンマタケ、オサムシタケ。
スズメガタケとヤンマタケは撮影経験があるが、ほかは未見の種類ばかりだ。斎藤さんの「キノコ目」には脱帽するしかない。もっともっと長生きしてほしかった。
会報にはこのほか、「平成20年度のキノコ中毒」「市内で発生した『ヒラタケ白こぶ病』」「観察会記録」などが載っている。私も「磐城蘭土紀行」に書いたキノコ関連記事のうち3本を再掲した。いずれ総合図書館の郷土資料に加わると思うので、興味のある方はそちらへどうぞ。
1 件のコメント:
こんにちは。
何度目かのコメントですが、脈絡のないもので判断は難しいと思いますが?
斎藤 孝さん、直接に会ったことありませんが、夕刊紙の記事では見たことがありました。
キノコへの興味など一切ありませんでしたが、奥さまの方の御縁で
遺稿集「カメレオンの悲しみ」を落手し、故人の人となりを偲びました。
勿論、「森を巡る氏」が発刊にご尽力されたこと知りました。
あれから、五年余、月日の経つのは早いものですね。
又、読み返してみます。
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