2014年2月7日金曜日

いわきは今が極寒

 いわきの平地に雪が降り、翌日には太陽に暖められて消えるかと思ったら、畑や川の中州には残っていた。北風が雪をもたらし、太陽が雪を解かす――その太陽が雲に隠れて再び冷え込んだ。ひさしに小さな氷柱(つらら)ができた。それが、おととい(2月5日)のこと。

 夏井川の中州のハクチョウは、こんなときにはじっとしていると雪に同化してよくわからない。雪とハクチョウの取り合わせは、いわきでは珍しい。いつものように堤防から写真を撮った。モニター画面で拡大すると、幼鳥の灰色の首が黒くなっている=写真。コクチョウ? いや、雪を背景に、逆光のなかで白黒が際立ったのだ。
 
 きのうも書いたが、2月2日に夏井川で堤防焼きが行われた。炎と煙を間近に見てハクチョウは驚いたのだろう。3日昼前には2羽に減り、おととい5日昼前には50羽ほどに増え、きのう夕方には100羽近くまで戻ってきた。雪が炎におびえた気持ちを落ち着かせる役目を果たしたか。

 きのうの朝はさらに冷え込んだ。風呂の水が凍って出なかった。夏井川の岸辺や中州の周りにも薄く氷が張っていた。ともに今シーズン初めてのことだった。
 
 現役のころは、帰宅するとすぐ晩酌を始めたので、いつからか入浴するのは翌朝になった。その習慣が今も続いている。朝風呂に入れない――無精ひげをなでながら、風呂の水が出るのを待った。ということは、いわきは今が寒さの底にある。この寒さをやり過ごせば、いわきは着実に春へと向かう。

2014年2月6日木曜日

堤防焼き

 わが生活圏の夏井川で日曜日(2月2日)、堤防焼きが行われた=写真。ところどころ枯れヨシなどが燃え残っていた。事前に関係する区長さんの話を聞いていたので、なぜそうなったのかは想像がついた。風がなかったのだ。

 1月下旬、夏井川下流左岸域で隣り合う神谷・草野両地区の区長さんが顔を合わせた。恒例の合同新年会で、初めて参加した。

「谷地(やち)焼き」という言葉を知った。谷地とは低湿地、つまりは河川敷の枯れ草焼きのことだ。草野地区ではそういう。上流の神谷地区は? 「谷地焼き」ともいうが、単純に「堤防焼き」といっているのだとか。小さいころは「谷地に遊びに行く」という言い方をしていたという。

 私は同じ神谷でも非農家地区(商店・住宅団地)に住むので、昔からのしきたりや伝統、行事にはうとい。堤防焼きに動員がかかることもない。「谷地」という言葉が生きていることに内心驚いた。
 
 谷地焼きは水害予防のために行われる。堤防を守ると同時に、大雨が降ったときの水の流れをスムーズにする。“焼き上がり”はしかし、風次第というところがあるらしい。無風だと火勢が弱くて燃え残りが多くなる。強風だと逆に飛び火をして火事になる。その中間、きれいに焼き尽くすような風がいいのだそうだ。
 
 草野地区では1月26日に実施した行政区がある。神谷地区は、塩と中神谷西区が2月2日、合同で実施した。草野の谷地焼きは風が味方をした。神谷の堤防焼きは、一部燃え残った。自然相手の作業は思いどおりにはいかない。

このとき、塩と中神谷の境の中州で羽を休めるハクチョウたちも、けむにまかれるのを嫌ってどこかへ避難したようだ。きのう(2月5日)の昼前、堤防を通ったら、ピーク時の4分の1(50羽程度)しかいなかった。もっとも、堤防焼き翌日は2羽しかいなかったから、復活しつつはあるようだが。

2014年2月5日水曜日

雪の立春

 立春のきのう(2月4日)、いわきのツイッターやフェイスブックは雪の情報であふれていた。いわき市内各地の雪の様子がわかっておもしろかった。夜には早くも道路が凍り、橋の先で車が横転していた――などという目撃情報もあった。

 ぼたん雪が降りしきる午後遅く、車で平市街へ出かけた。ラトブの4階エレベーターフロアから、うっすら雪をかぶった田町の風景を撮影した。その帰り、助手席のカミさんにカメラを渡して、走行中の車をパチリとやってもらった=写真
 
 いわきの山間地はともかく、平地ではめったに雪が降らない。降るのは主に春先。湿って重いぼたん雪だから、根雪にはならずにすぐ解ける。はかないうえに珍しい。街・里・田畑・川・海辺……、どこでも被写体になる。で、写真付きの雪の情報がネットを飛び交った。

 夜にはこんなことがあった。いわき地域学會の事務所(私の故義伯父の家)で、2月15日に開催する市民講座の案内はがきを印刷しようとしたら、プリンターが正常に作動しない。ラベルのあて名が一部かすれたり、はがきが薄汚れたりしてしまう。

 年明け以降、人がいるときにはエアコンのほかに石油ストーブをつける。やかんをかけている。この湿気と寒気のせいでプリンターが結露したのではないかという。デジタル機器は湿気に弱い。紙がしけるのも嫌う。そういうことにうとい人間には、原因を探り、手を打つ事務局次長が、何か特別な存在のように思われた。プリンターは間もなく復活した。

 さて、一夜明けた今朝の状況は? 快晴。室内でも素足では痛いくらいに冷たい。台所の水道は、蛇口をひねると半分凍結状態で、水の出が悪かった。最低気温は小名浜で氷点下3.9度だった。たぶん今冬一番の冷え込みだろう。家の前の道路は乾いていた。歩道は側溝のふたがところどころ雪をかぶっている。その雪は少しザラメ状だ。
 
 いわきには、冬も車はノーマルタイヤのままという人が多い。私がそうだ。けさは特に、橋が要注意。上と下から冷やされて凍っているところがあるかもしれない。年寄りは、日が高くなって、ザラメ雪が解けたあとに動き出すのがよさそうだ。

2014年2月4日火曜日

カラスよけネット

 隣地との境にごみ集積所がある。いつからかわが家で管理するようになった。隣組に入っていないアパートの人たちも利用する。

 今年に入って、黄色いカラスよけネット(ごみネット)がなくなった。すぐさまカラスがやって来てごみ袋をつつき、生ごみを歩道(通学路)に散らかした。わが家にあった遮光ネットで代用した。そのネットもきのう(2月3日)朝、なくなっていた。たまたま別の用事のために取り置きしていたカラスよけネットがあった。この際しかたがない、それを“流用”した=写真
 
 不思議でならない。なぜごみネットが消えるのだろう。集積所にはおおむね週3回ごみが出される。燃やすごみが月・木、容器包装プラスティックが水曜日。燃やさないごみの水曜日もカラスが袋を破いて中身を散らすことがある。風の強い日はそのプラスティック類が飛ばされる。いつのときもネットが必要になる。
 
 その風がネットをどこかに吹き飛ばしたのだろうか。いや、風はネットをくぐりぬけるだけだ。収集車が去ると、家の前の荷台の下にネットを丸めて置く。なおさら風に吹き飛ばされるようなことはない。としたら、誰かが……。
 
 推測はそこまで。「誰が風を見たでしょう?/ぼくもあなたも見やしない、/けれど木の葉をふるわせて/風は通りぬけてゆく」(クリスティーナ・ロセッティ「風」=西條八十訳)。ごみネットが消えるたびに、この詩が思い浮かんだ。風は見えない。人も見えない。
 
 きのうは無風だったが、今朝は少し風が出てきた。曇天で夕方には雪に変わりそうだという。それでもきょうは立春。人をこごえさせる寒風も、やがて春風に変わる。

2014年2月3日月曜日

きょうは節分、あしたは立春

 風邪が抜けきらない。早めに薬を飲んだので寝こむようなことはないのだが、なんとなく鼻がぐずぐずしている。頭も少しぼんやりしている。先週はそれで、月曜日と土曜日以外はずっと家にこもっていた。

 土曜日に街=写真=へ出かけた。ラトブの総合図書館に本を返し、被災者のための交流スペース「ぶらっと」に顔を出した。曇っているのに街も歩行者もまぶしかった。長く家にこもっていると、のんびりした街でさえ都会に見えてくるのだろうか。

 きのう(2月2日)は昼過ぎ、ラーメン屋へ出かけた。セーターを着ていたせいもあるが、ラーメンを食べていると汗が噴き出した。こんなことは今冬初めてだ。西日本では夏日になったところもある、とテレビが伝えていた。いわきも曇っているのに気温が上昇した。これがラーメンで汗をかいた理由だろう。

 夕方、いつもの魚屋さんへ刺し身を買いに行くと、「きょうはあったかかった」という。半月前は寒風が吹き荒れ、魚をさばく手が赤かった。「冷蔵庫の方があったかいくらい」とこぼしていた。夜も部屋に暖気が残っていたので、この冬初めて石油ストーブを止めた。
 
 きょうは節分、あしたは立春。前線の影響で天気は下り坂だという。浜通りでも夜には雨か雪になるところがありそうだ。真冬に春の足音が聞こえるといっても、寒暖の差は大きい。同じ時期に風邪を引いたカミサンは、今もゴホン、ゴホンとやっている。風邪が完全に抜けるまで、ともに時間がかかるようになった。きょうは特に体をあたたかくしておかないと。

2014年2月2日日曜日

神谷と草野

 夏井川の左岸下流域に住んでいる。水源はわがふるさと、阿武隈高地の主峰・大滝根山。河口はわが住まいのある神谷地区の隣、草野地区。週末には水源と河口の中間、夏井川渓谷の隠居(無量庵)で過ごす。それで、川を軸にしてモノゴトを考える癖がついた。「地域」を「流域」としてとらえると、上・下流のつながり、食文化や生態系の違いなどがみえてくる。
 
 ところが勝手なもので、川をめぐる想像力は自分の住む地域で止まっていた。下流を意識するのは、秋に地区の青少年育成市民会議が主催する「歩こう会」のときくらいだ。夏井川の堤防を、ごみを拾いながら河口部の沢帯(ざわみき)公園まで歩き、昼食をとる=写真。夏井川の水の流れがそこで終わる。それでも、下流の“苦悩”には思いが至らなかった。

 先日、神谷・8行政区、草野・9行政区の区長さんが参加して、合同新年会が開かれた。夏井川は、河口が閉塞している。そのため、行き場を失った水は隣の仁井田川まで、海岸と並行する横川を逆流して太平洋に注ぐ。そのうえ、東日本大震災では50センチ以上も地盤が沈下した。大雨になるとすぐ水がたまる。夏井川の河口を早く開いてほしい――海寄りの草野地区の区長さんの話が胸にしみた。

「水に流す」という言葉がある。流れてくるものには敏感でも、流したものにはあまり注意を払わない。2年前に実施した「生活空間環境改善事業」、つまりは通学路などの除染作業がそうだった。下流の住民と自然に対してすまない思いを抱きながらの作業となった。下流の区長さんの話から、そのことを思い出した。

2014年2月1日土曜日

帰村宣言から2年

 きのう(1月31日)の朝、関係する東京のNGOのスタッフがわが家に顔を出した。震災直後からいわきで支援活動を展開している。そのための宿舎が近所にある。川内村=写真(2010年7月25日撮影)=へ行ってくるという。郡山市にある応急仮設住宅も訪ねるという。

 ん、川内? 新聞・テレビが報じていたのを思い出す。川内村はこの日、「帰村宣言」から満2年を迎えたのだ。全村避難から間もなく3年。約2800人の村民のうち、週4日以上村の自宅で過ごす人は半数を超えた。川内の現状を把握しようということなのだろう。
 
 村はわがふるさと(田村市常葉町)の隣にある。ともに阿武隈高地の主峰・大滝根山をいただく。いわきから実家への往復には「往」と「復」のどちらか、大滝根山を越えるルートか谷沿いの国道288号を利用する。つまり、必ず川内は通る。3・11後はなおさらそうしている。
 
 ずいぶん前になる。創立して間もないいわき地域学會が、総力を挙げて『川内村史』を手がけた。昼間は自分の仕事があるアフターファイブの研究者の集団だ。休日になると、たびたび川内村へ出かけ、村役場の担当者のIさんの案内で調査を繰り返した。私もそのはしくれとして、江戸時代の俳人佐久間喜鳥を軸にした俳諧ネットワークと、川内村と草野心平のつながりを担当した。
 
 大型連休のある日、Iさんの親族の家に案内された。旧家だ。炭火が赤々とおこる囲炉裏を囲んで、山菜の“フルコース”を楽しんだ。葉ワサビの粕漬け、ウドのじゅうねん(エゴマ)あえ、シドケ(モミジガサ)のおひたし、タラの芽のてんぷら、フキとタケノコの油いためが出た。仕上げはミョウガタケ(ミョウガの新芽)と豆腐の味噌汁。囲炉裏端にはイワナとヤマメの串焼き、そして炭火の上の網わたしには生シイタケ。
 
 そうそう、川内はキノコの名産地でもあった。『川内村史・資料篇』から幕末のキノコの値段がわかる。

 シイタケとコウタケを江戸へ出荷していた。安政7(1860)年3月の相場は、シイタケが1両当たり1貫550匁、コウタケが2貫400匁と、シイタケの方が高い。慶応2(1866)年12月になると、これが3~2倍にはね上がる。シイタケは1両当たり中級品500匁、シシタケ(コウタケ)が1貫400匁。マツタケは大小5本で100文と考えられない安さだった。

 川内は、ほかの阿武隈の山里がそうであるように、山野の恵みが豊かな村である。NGOのスタッフと川内の話をしたら、川内で食べた山菜料理の数々が思い浮かんだ。それを過去の話にしてはいけない。そのための「帰村宣言」でもあろう。
 
 夕方には、その川内村で養鶏業を営む風見正博さんが鶏卵を持ってきた。雪は?ないという。ノーマルタイヤでも実家への往復ができそうだ。が、ここは我慢して、もうちょっと暖かくなるのを待とう。