2010年8月31日火曜日

伏せ込み


土曜日(8月28日)の夕方、夏井川渓谷の無量庵に着いた。と、すぐ道ですれ違ったからと、長男一家がやって来た。チビどものために郡山市へ新幹線の車両を見に行った。ついでに阿武隈高地のわが実家へ回った。その帰りだという。

三春ネギの「伏せ込み」(やとい)の準備をしようという矢先の、長男夫婦と孫の到来。孫が庭でとびはねているからには、畑の仕事をするわけにはいかない。で、小一時間後、バイバイをして作業を開始した。

猛暑続きとはいえ、もう8月も終わり。夏至から2カ月以上たっている。日の出が遅くなり、日の入りが早くなっている。ネギを引き抜いたあと、伏せ込みのための溝をスコップで斜めに切った。栽培農家ではないからスペースは小さい。それだけでうっすら夜のとばりが下りてきた。

次は翌日、日の出前に起きて溝の根元に堆肥を投入し、ネギの皮をむき、伏せ込んで堆肥まじりの土をかぶせる。そう頭に予定を入れて晩酌をした。「天日燦(さん)として焼くが如し 出(い)でて働かざる可からず」(吉野義也=いわきの詩人三野混沌)では熱中症になってしまう。その前にけりをつけるのだ。

朝、目が覚めたら5時20分だった。しまった。ガバッと起きて外へ飛び出す。5時前の目覚めだったら、余裕を持って作業ができる。5時半近くでは素早くネギの皮をむかないといけない。伏せ込みをやるころには朝日が昇ってギラギラ照りつけるからだ。

「急げ、急げ」と言い聞かせながらネギの皮をむいた。伏せ込みのころには、案の定、朝日がギラギラ照りつけ、汗が噴き出した。でもまあ、2時間後、朝飯前には作業が完了した=写真。8月中にけりがついた。「これで良し」である。

2010年8月30日月曜日

偶然


土曜日(8月28日)、久しぶりに夏井川渓谷の無量庵に泊まった。

夕方、その日の予定を消化したあと、三春ネギの「やとい」をする最後の日は日曜日しかない、すぐ出かけて「やとい」(伏せ込み)の準備をしよう――。準備をしておけば、次の日(日曜日)早朝、三春ネギを伏せ込むことができる、ということで急に思い立った。

その話はあとにするとして――。県道小野四倉線、いやその手前、国道399号のいわき市平中平窪あたりで赤信号になり、ハイブリッド車の後ろに止まった。そのハイブリッド車だが、なんとなく見覚えがある。車体の色のシルバーがくすんでいる。うっすらベージュがかっている。年季が入っているのだ。偶然、追走するかたちになった。

結果は図星だった。が、「知人かな」が「知人に違いない」に変わったのは、渓谷の運転のスムーズさだった。

夏井川渓谷を縫う県道小野四倉線。これを通勤に使っているマイカー族の特徴は三つ(私の目撃例による推測)。運転がスムーズ。カーブでもエンジンブレーキで対応する(ブレーキランプはめったにつかない)。JR磐越東線の列車ダイヤが頭に入っているから、踏切は素早く通り過ぎる。警報が鳴ればもちろん止まって列車の通過を待つ=写真

ハイブリッド車は思った通り、途中で県道から自宅へと折れた。その運転ぶりからすっかり知人が山里の住人になったことを実感した。

2010年8月29日日曜日

モミぼっくり


夏井川渓谷の針葉樹は主に赤松とモミ。無量庵の隣、電力会社の社宅跡(広場)にも大きなモミの木がある。対岸の水力発電所を仕事場にしていた従業員が幼樹を植えたか、実生が育ったか。たぶん植えたのだろう。もう相当年数がたっているはずだ。モミの木の上部に「松ぼっくり」ならぬ「モミぼっくり」ができた=写真

「モミぼっくり」は肉眼でもはっきり見える。20年以上前のことだが、ヒマラヤ杉の球果をもらったことがある。球果は高さおよそ12センチ、径7センチの長卵形だった。モミぼっくりも細身ながら、それと同じくらいに大きいだろう。

ヒマラヤ杉の球果を手に入れたのは11月だった。何日かたつと稠密だった鱗片がゆるみ、芯を残してバラバラに崩れ落ちた。

モミぼっくりもヒマラヤ杉同様、枝先に天を向いて立つ。今は球果が形成されたばかりで淡い緑色をしている。10月ごろに成熟して鱗片が脱落するというから、ばらけ方はヒマラヤ杉とそう変わりあるまい。

わが無量庵にも道端に植えたモミの木がある。先住者の話では、クリスマスのころ、誰かに切られかかったことがある。変な音がするので台所の窓を開けて外を見たら、ギーコギーコやっていた。犯人はすぐ逃走した。そのモミはまだ球果をつけない。

リスはモミの種子を好むという。樹下に青い鱗片が散らばっていれば、リスがモミぼっくりを食い散らかしたあかし。森に入ってチェックする楽しみが増えた。

2010年8月28日土曜日

クロアゲハ


週に一度、無量庵のある夏井川渓谷に通って15年余になる。年にざっと50回だ。菜園を始めてからは週に2回のときもある。通算で800回以上は通っているだろう。とにかく飽きない。飽きないのは“発見”があるからだ。そのことについてはすでに何度か書いている。

それでも書く。“発見”は“驚き”。自然は絶えず“驚き”に満ちている。人間がつくりだす流行とは無縁の、そこにだけ蓄積された自然の奥深さ。週に一度、そのほんの一部に触れる。先日は黒く大きなチョウの動きに目を見張った。

木々が茂る無量庵の庭で涼んでいると、黒いチョウが3匹、どこからともなく現れた。3匹はお手玉よろしく、上になり下になり、あるいは近づいたり離れたりしながら、行ったり来たりしている。写真だ、写真に撮ろう! あわててカメラを取りに行ったら、1匹はどこかへ去り、2匹がひらひら舞いながら庭木の中に入り込んだ。

葉に止まった個体をパチリとやった=写真。どうやらクロアゲハの雌らしい。ということは、ほかの2匹は雄。3匹が乱舞しているうちにライバルが脱落したのだろう。

オナガアゲハ、ミヤマカラスアゲハ、キアゲハ……。夏井川渓谷で目撃したアゲハチョウはほかにもあったはずだが、ちゃんと特定できたわけではない。写真に撮って初めて名前が分かり、間違いが分かる。今度も自信があるわけではない。間違っていたらどうぞご指摘を。

そこへ足を運ぶと実感できる本物の、天然の、生物の多様さ――。落石や毒蛇、毒虫の危険はあっても、自然はいつも感動と驚きを用意している。

2010年8月27日金曜日

微生物の話


先週の土曜日(8月21日)、いわき市文化センターでいわき地域学會の第264回市民講座が開かれた。講師は馬目太一会員。製薬会社で土壌に含まれている微生物の研究をしてきた。退職後はいわき明星大薬学部で微生物学などを教えている。「微生物とヒトとの関係」と題して話した=写真

話の骨子は「ヒトは有史以来、実態も分からなかった微生物を上手に利用し、生活を豊かにする努力をしてきた。その一方でペストや結核といった感染症にも悩まされ続けてきた。良くも悪くもヒトに密接な関係にあるこれら微生物を取り上げ、さらに土壌から分離される細菌の仲間、放線菌について電子顕微鏡の写真を交えて紹介する」というものだった。

資料がかなりの量になるというので、パソコンから白板にデータを映し出す方法で話を進めた。したがって、紙のレジュメはない。受講できないのでレジュメが欲しいという人がいる。今回はあきらめてもらうしかなかった。

微生物は、目には見えない。が、たとえば「人間の皮膚常在菌は10兆個」「口の中には1㏄あたり1億個の細菌がいる、キスは細菌のやりとりをしているようなもの」といった、けた違いの数字にはうなるしかなかった。

食文化についても言及した。「発酵も腐敗も同じ現象。ヒトに有用な作用が発酵、不都合な作用が腐敗。人間の都合によって発酵だ、腐敗だと言っているだけ」。メモが追いつかないほど面白かった。

話を聞きながら、ずっと金子みすゞのこんな詩のフレーズを反芻していた。「見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ」。わが体内にある極小の宇宙を旅している感覚になった。

2010年8月26日木曜日

酸味


猛暑が続く。猛暑をしのぐために体がなにか違う食べ物を求めているのだろうか。いや、食べ方を変えるように体が指示しているのだろうか。

はっきり変わったことがある。キュウリの糠漬けだ。梅雨明け前は、まだ表面に緑色が残る浅漬けのキュウリ(夜入れて朝食べる、朝入れて昼食べる)が好みだった。が、梅雨明け以後は徐々に、表面が飴色になる古漬け、つまり酸味の強いキュウリを食べたいようになった。こんなことは初めてだ。

わが家にはエアコンがない。で、窓という窓、戸という戸を開け放している。家の内外がつながっている。茶の間では扇風機をかけている。それでも汗がにじむ。ぐったりすることもある。

熱中症の初期症状、あるいはそれにつながる「前症状」のようなものにはたぶん、絶えず襲われているはずだ。なにもしないのに汗をかいている。どんどん体から水分が失われている。それを防ぐために、いや最低の食欲を維持するために体が反応し始めた? それが、酸味の強いキュウリの古漬けを求めるようになった?

梅干しももちろん、食欲を増す。で、古漬けにまぶして食べることが増えた。でも、レモン汁は梅干しの酸味以上に刺激的だ。酸味の強い古漬けにより刺激的なレモン汁を垂らす。これがなかなかいい。

自家栽培のキュウリはもう終わりに近づいているようだ。わが家のほかに、夏井川渓谷の無量庵でもキュウリを栽培している。日曜日(8月22日)早朝、一週間ぶりに収穫したら、一本は30センチ近かった=写真

それはキュウリもみにし、残るキュウリを糠床に差し込んだ。もらったキュウリもどんどん差し込む。古漬けにする。古漬けにして、食べきれないものは袋に入れて冷蔵庫にしまう。

キュウリは放置しておくと、水分が飛んで中が綿のように白くなる。そんなキュウリはおいしくない。水分を保っているうちに漬け込むのだ。酸味を加えることと、どんどん漬け込むこと、このところの猛暑が教えてくれた新しい知恵だ。

2010年8月25日水曜日

ビアトリクス・ポター展


郡山市立美術館で開かれている「ビアトリクス・ポター展」は、絵本の「ピーターラビット」たち=写真=の作者としてだけではなく、ナショナルトラスト運動の理解・賛同者としての彼女に引かれて出かけた。

ナショナルトラスト運動は英国が発祥の地。「ピーターラビット」で得た土地は「ピーターラビット」たちへ――ビアトリクスが購入した農場などをボランティア団体の「ナショナル・トラスト」に寄託することでイギリスの湖水地方の景観は守られた。その一点だけも展覧会を見る価値がある。

わが子が幼かったころ、「ピーターラビット」は彼らの友達だった。その子どもが父親になった。今度はその子ども、つまり孫が友達になる番だ。なるかどうかは、孫次第。孫と絵本はこれからの話として、ポターの絵の力も再認識した。

ナショナルトラスト運動と美術は、自然環境を守る=景観を保つという点では、切っても切れない関係にあるのだろう。その団体創設には美術評論家のジョン・ラスキンがかかわったという。

ラスキンの名前から思い浮かぶのは、「ラファエル前派」のダンテ・ゲイブリエル・ロセッティら。彼らの作品は明治から大正時代にかけて日本に入って来た。

大正時代後半、一気に黄金時代を迎えた「童謡」について言えば、金子みすゞは、師の西條八十が翻訳したダンテ・ゲイブリエルの妹クリスティーナの詩を「お気に入り」の一つにした。みすゞが影響を受けた詩人や画家を逆に追いかけると、「ラファエル前派」にたどり着く。

で、みすゞがクリスティーナの先に見ていたのはだれ? ビアトリクス・ポターだったか――などと想像をたくましくするのも楽しい。