このごろの、わが家の庭の光景――。車で外出から戻ると、ヒヨドリがいる。人間の姿を見ただけで逃げる野鳥も、車には警戒心が薄い。すぐそばに止まっても、ヒヨドリは地面から動かない。別の日には、ジンチョウゲの枝に止まったままだった。
運転席から1.5メートルほどの至近距離だ。しばらくパチパチやったが、目に星(キャッチライトというそうだ)が入っているのはこれ1枚だけだった=写真。
運転席から1.5メートルほどの至近距離だ。しばらくパチパチやったが、目に星(キャッチライトというそうだ)が入っているのはこれ1枚だけだった=写真。
冬は、いきものにとってはえさが極端に少なくなる試練のとき。夏井川渓谷の隠居で家庭菜園を始めて知ったのは、鳥たちの容赦のなさだった。白菜が1~2月、あらかたヒヨドリにつつかれて穴があいた。鳥たちは畑の持ち主をおもんぱかる、なんてことはしない。そこに食べ物がある以上はなくなるまで群がる。必死なのだ。
縁側のコンクリートのたたきに、カミサンがネコのえさを置く。ヒヨドリは、それが目当てだ。縁側とガラス戸1枚を隔てた茶の間で座業をしていると、背後でカサコソ音がする。そっとガラス戸越しにのぞく。ヒヨドリがアルミ箔(はく)の丸鍋に残っているネコのえさをついばんでいた。スズメが群がっているときもある。
わが家族は、私以外は“ネコかわいがり”派だ。物置の軒下にえさを置いていたときには、ネコが去るとカラスがやって来た。ムクドリも毎朝やって来てはギャーギャーいう。柿の実がなくなったのになんでムクドリが? ネコのえさが目当てだった。これはまずい、だめだ――カミサンにいって、人間の領域に近い縁側のたたきでえさをやることにした。
おかげで、カラスは姿を消した。ムクドリも来なくなった。ヒヨドリだけは相も変わらず通い続けている。えさがちょうどいい大きさなのだろう。
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