2011年10月31日月曜日

記念品


「シャプラニール=市民による海外協力の会」から、ゆうメールが届いた。小さな手提げバッグが入っていた。送り状に、マンスリーサポーター歴が10年になった、感謝の気持ちを込めて記念品を送る、とあった。

マンスリーサポーターとは毎月1000円をシャプラに寄付(口座から自動引き落とし)する人間のことだ。シャプラの前身、「ヘルプ・バングラデシュ・コミテイ」創設メンバーの一人がいわき出身の友人だった縁で、会員のカミサンとは別に、10年前、マンスリーサポーターになった。シャプラはヘルプ・バングラデシュ・コミテイから数えると40年の歴史をもつ。

記念品は、バングラデシュの女性がつくったジュートバッグだ。ジュートは黄麻(こうま)。ジュートで織られ、つくられたバッグということになる。「男が持って歩くのはどうかなぁ」というので、カミサンにあげることにした。

シャプラがいわき駅前再開発ビル「ラトブ」2階に設けた被災者のための交流スペースで先日、バングラデシュの伝統的な刺繍ノクシカタの教室が開かれた=写真。先生はシャプラのいわき駐在スタッフ(男性)で、小さな花の刺繍をつくった。およそ20人が参加した。なかなかの盛況だった。知人がいた。およそ十年ぶりに会う人もいた。

十年ぶりの人は、布を通じてカミサンと知り会った。そのころ、シャプラのイベントをいわきで何回か開いた。それで、シャプラを覚えていた。3・11を機に、シャプらがいわきへ支援に入ったことを知って、カミサンに会えるかもと、交流スペースにやって来たのだ。

若い人もいた。運針しながらおしゃべりを楽しむ、男にはちょっとわからない楽しみが展開されたようだった。

記念品のジュートバッグといい、刺繍のノクシカタといい、具体的な物、かたちを通してバングラの文化を知るいい機会になった。

2011年10月30日日曜日

ハクチョウ飛来


ハクチョウがきのう(10月29日)、夏井川にやって来た。早朝、散歩の途次、上流に白く大きなかたまりが浮いているのを発見、近づくとハクチョウだった。右岸、いわき市平山崎地内。最初は2羽、やがて3羽が合流し、40分後には27羽になった。早速、上陸したハクチョウもいる=写真

左岸の中神谷地内に住む女性に話を聞く。女性はトンビと仲がいい。河川敷のサイクリングロードで、女性がえさを空中に投げる。トンビが急降下してパッとくわえる。みごとなダイビングキャッチだ。ハクチョウは前に一度姿を見せたという。しかし、「このハクチョウたちは朝、来たばかりじゃないのかな」。

3月11日の大地震と同時に、ハクチョウたちは一斉に夏井川から姿を消した。以来、7カ月半ぶりの再会だ。去年までと違うのは、川も、山も、野も、放射性物質に見舞われたこと。そんな厳しい環境の中でハクチョウたちは冬を越すことになる。

散歩中に、下流へと向かう一団があった。家に戻って河口へ車を飛ばす。ハクチョウの姿はなかった。四倉の仁井田浦にもいなかった。河口にかかる磐城舞子橋が復旧したので、黒松林を貫く海岸道路を南下し、滑津川まで足を延ばした。そこにもハクチョウはいなかった。

下流へ向かった一団は、たぶんUターンしてきたのだ。5羽のハクチョウが27羽に増えたのはそのためだろう。午後1時半ごろ、車で堤防の上を通ったら、ハクチョウは2羽だけになっていた。まだまだ落ち着かないようだ。

夏井川は中平窪(平)が第一の越冬地、次いで山崎・塩・中神谷(平)、三島(小川)にもハクチョウたちがやって来る。そちらにももう姿を見せているのではないか。

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今朝、ハクチョウにえさをやっているMさん夫妻と会った。軽トラで自宅へ戻る途中だった。しばらくぶりに言葉を交わす。「今朝は5羽だけ。まだ落ち着かない。3月11日に姿を消したのは、川をさかのぼってきた津波に驚いたから」。地震そのものより津波が理由だった、というのは“発見”だった。

2011年10月29日土曜日

スズメが台所に


昼前、台所で水を飲もうとしたら、かすかな羽ばたき音がする。天井を仰ぐと、スズメがいた。出口を探して、何度も行ったり来たりしている。

いい天気になったので、茶の間のガラス戸を開けておいた。そこから家の中に入り込んだのだろう。台所まで進入したのはいいが、ただただ北側の食器棚から南側のガラス戸へと、飛んでは舞い戻る。あわてふためいているのか、隣の茶の間から外へ飛び出す余裕はない。天井を見上げて思案中のところをカメラに収めた=写真

台所のカーテンとガラス戸を開けて逃げ道を用意してやる。ところが、そばに人間が立っているものだから、怖くて近寄らない。そのうち、やっと茶の間に気づいてそちらから大空へと消えた。

大震災以後、出てきた本に室生犀星の『動物詩集』がある。戦時下の昭和18年に発行された。義父か伯父かが持っていたか、あるいはどこからかめぐりめぐってやってきたものに違いない。買った記憶はない。序文にこうある。

「いろいろな動物の生活を見てゐると、どういふ生きものにも私たち自身の生きてゐる有様が、ところどころに見られる。/動物がびっくりする時や喜ぶ時にも、私たちのびっくりしたり喜んだりする、こまかい有様を見ることが出来る。いのちといふものを動物のなかに見てゐると、どういふ下等な動物でもいのちを大切にまもるために、飛んだり逃げたりすることが分ります。」

「飛んだり逃げたりする」ために、天井を見上げて思案中のスズメは、まさに腕組みをし、天を仰いで考えごとをしている人間と同じではないか。

『動物詩集』には「夏の雀のうた」が入っている。<あつくなると/雀のあたまも黒くなる。/雀もきつと/あつい日にやけるのでせう。/雀はあんまりあついと/からだがかゆくなつて/水で羽根をさうぢをする。/雀のあしはあかだらけで/おうちで/あしがきたないといつて/しかられてゐるのだらう。>

スズメの写真を拡大したら、脚に綿ごみがいっぱいついていた。「あかだらけ」どころか綿ごみだらけだ。家に帰ればしかられるに違いない。

2011年10月28日金曜日

メジマグロ


いつもの魚屋さんにカツオの刺し身を買いに行ったら、「ないんです、代わりにホンマグロの子どものメジマグロがあります。前に食べて『うまかった』っていったやつ」。マグロの刺し身はほとんど食べない。が、メジはだまされたと思って食べたところ、確かにうまかった。“トロガツオ”に引けを取らない。サンマの刺し身も一匹、加えてもらった=写真

いわきではまだまだカツオの刺し身が食べられる。脂ののった戻りガツオが入る。たまたま脂のないものが続いたので、様子を見ることにしたのだという。

サンマのミリン干しも始めた。今年はどうしようか迷っていた。が、食べたいからつくってほしい――常連の声に背中を押された。

去年までは、いわきの海の幸を遠くにいる親類・友人・知人に宅配便で送って喜ばれた。今年はすっかり様子が変わった。受け取りを拒否されるときがあるという。家庭によっては、人によってはありがた迷惑になってしまうのだ。これも一種の風評被害、いや過剰反応だろう。

いわきでは、漁は行われていない。サンマは安全な北からやって来る。サンマのミリン干しも、そういう意味では心配ない。

魚屋さんは客の依頼を受けて宅配業者を呼ぶ。先方に届けたのはいいが、持って帰れと言われたら、業者だってどうしたらいいかわからなくなってしまう。「宅配便で送るのもいいけど、先方にちゃんと確認してからにしてください」。魚屋さんは念を押すのだという。

賢く恐れてほしいといっても、先入観に支配された人間は聞く耳を持たない。道理が通らない。こうしてひとつ、またひとつ、腹が立つことが増えていく。そうではない人もいっぱいいることを承知しながらも、だ。

2011年10月27日木曜日

700円ランチ


会津に住む後輩がいわきにやって来た。一緒に吉野せい賞選考委員会に出たあと、彼を久之浜の「あみ屋」=写真=へ案内した。後輩の父親と、「あみ屋」の経営者の父親は仲がよかった。双葉郡内で学校の先生をしていたという。

3・11以後、経営者夫妻と連絡が取れず、安否が気になっていた。6月になってようやく電話がつながった。後輩は夫妻と顔を合わせてホッとした様子だった。

「あみ屋」は5月中旬に店を再開した。新聞記事になったので、知っていた。昼11時から2時まで、ランチは天丼も、てんぷら定食も、刺し身定食もオール700円だ。年内はこの震災限定メニューで営業するという。700円ランチが受けて、結構にぎわっているようだ。北に過酷な仕事場をかかえる人たちも胃袋を満たしに来る。

「あみ屋」は波立(はったち)海岸の北はずれにある。波立海岸の先は久之浜海岸。いわば両海岸の境に位置している。大津波が久之浜海岸と波立海岸を襲った3月11日、「あみ屋」は奇跡的に助かった。海からではなく、国道6号から水が押し寄せ、駐車場に家電製品などが流れ着いた。しかし、建物は床が水につかる程度で済んだ。

久之浜も波立も、沿岸部の建物はあらかた津波にやられた。「『あみ屋』だけ無事だった」。そんな声が聞こえる。みんなに申し訳ない気持ちだという。

いわき民報社が発行した写真集『3・11あの日を忘れない いわきの記憶』がカウンターに置いてあった。久之浜の住宅地を襲う津波の写真を指し示して、「どこかで見たことがあると思ったら、父のアトリエだった」。

それからざっと2週間後。きのう(10月26日)昼前、せい賞の発表の場に出たあと、「あみ屋」へ車を飛ばした。カミサンは刺し身定食、私はカキフライ定食を食べた。

座敷の隅の壁に6号ほどの油絵が飾ってあった。果物らしきものを手前に配して貝殻を組み合わせた写実画だ。細密描写にうなった。おかみさんに聞く。「お父さんの絵?」「そうです」。久之浜にアトリエを構えた画家らしい作品だと思った。

2011年10月26日水曜日

「川前屋」再オープン


日曜日(10月23日)、無量庵のある夏井川渓谷(牛小川)へ出かけたついでに、上流の川前へ足を運んだ。同じ溪谷にある「山の食。川前屋」が店を開いていた。10月1日に再オープンした。

品ぞろえはいまいちだが、漬物がある。赤く色づいた唐辛子がある。ニンジン、チンゲンサイ、いなりずしがある。腕カバーもある。それらを買うと、しめて3300円になった。ここでの買い物にしては少々張り込んだ。どこかで再開を祝う気持ちがはたらいたようだ。

恒例の「紅葉ライトアップ」が今年も11月4~6日、「川前屋」を会場に開かれるという。初日は午後5時半に点灯式が行われる。日中は「川前屋感謝祭」で、2日目と最終日には太鼓や歌などのイベントが繰り広げられる。人気の川前手打ちそばは3日間とも限定販売だ。

通常であれば、「川前屋」は冬場を休んだあと、4月に再開される。それが、今年は原発震災の影響で半年ずれこんだ。川前屋は震災に負けない、再びごひいきに――紅葉ライトアップと川前屋感謝祭にはそんな意味合いもあるのだろう。

さて、わが無量庵の三春ネギはどうなったか。「川前屋」から帰って苗床を見ると、緑色の芽が列をなしていた=写真。発芽率はかなりいい。ひとまずこれで冬を迎える準備はできた。次にいのち(種)をつなぐめどは立った。

栽培中の三春ネギがやせ衰えて収穫もままならず、春にネギ坊主を形成するまでに至らなかったとしても、なんとかしのげる。1年間、三春ネギを食べなければよい。

代わりに、これからスーパーで売り出される阿久津曲がりネギか、溪谷の紅葉に合わせて江田駅近くに直売所を設ける小野町のNさんの曲がりネギを買って食べる。いっぱい買って仮植えしながら消費するという手もある。

話はまた変わって、夏井川渓谷のカエデの紅葉だが、NHKの情報では「色づきはじめ」。しかし、すでにツツジ類を中心に山全体がかなり色づいている。

川前だけでなく、小川分のわが牛小川でも11月13日、小川町商工会主催による「夏井川渓谷紅葉ウオーキングフェスタ2011」が開かれる。それを忘れていた。集合場所は無量庵の隣、錦展望台だ。去年までは案内人の一人だったが、今年は会津へ行く用事があってパスするしかない。

紅葉ライトアップ会場周辺の放射線量(9月25日現在)は、チラシによれば0.12~0.16マイクロシーベルト/時だ。アカヤシオの花が満開の春は、行楽客は皆無に等しかった。紅葉の秋にはにぎわいが戻ってほしい。

2011年10月25日火曜日

ふるさと体験交流


日曜日(10月23日)に川前町のブドウ園を訪ねたら、近くの川前公民館でマチの子どもたちがブドウのジャムづくりをしていると教えらえた。公民館をのぞくと、知人がいた。知人に用があって訪ねたものの、留守。で、空振りで戻るのもなんだから、ブドウ園に寄ったのだった。

あとで川前町商工会のHPをのぞくと――。小学4~6年生を対象に「ぶどう狩り・飾り炭体験」の参加者を募集した。

ブドウ園でブドウ狩りをしたあと、ブドウジャムとブドウジュースをつくる。パンも自分たちでつくり、ドラム缶オーブンで焼いて食べる。昼食後は同じドラム缶で松ぼっくりやドングリなどの飾り炭をつくる、つまり炭焼きを体験する。参加費無料でそんなメニューが用意されていた。

いわきの里川前ふるさと体験交流委員会が主催し、同商工会が後援した。川前の交流人口を増やすのが目的で、知人はその中心メンバーだ。放射線量を測定し、公表したうえで、教育委員会を通じて参加者を募集し、事業を実施したという。

私らが行ったのは昼前。子どもたちはジャムとパンづくりに奮闘していた=写真。子どもたちからは平の小学校の名前が次々と上がる。わが地域の小学校からも、いかにも元気そうな3人組が参加していた。

いわきは広い。バスでやって来た子どもたちは、マチとは異なる夏井川渓谷の秋と静かな山里のたたずまいのなかで、共につくり、味わい、楽しんだことだろう。ストレスも少しは減ったことだろう。