2024年10月25日金曜日

ヒューズ詩集『カラス』

                              
  図書館の新着図書コーナーに「カラス」の文字が躍っていた。よく見たら、『テッド・ヒューズ詩集 カラス――その生と歌より』(木村慧子・山中章子訳=小鳥遊書房、2024年)とあった=写真。「小鳥遊」は「たかなし」(鷹がいない?)と読むらしい。

 テッド・ヒューズ(1930~98年)はイギリスの詩人だ。名前は聞いたことがあるが、作品を読んだことはない。カラスを題材にどんな詩を書いているのか、興味がわいた。

さっそく読み始めたのだが……。結論からいうと、鳥類としての、あるいは生物としてのカラスは、まず登場しない。

それを期待した分、見事に裏切られた。そうではなくて、カラスの姿を借りた詩人の心象そのものと受け取るべきなのだろう。

「ヒューズは動物詩を数多く残したが、とりわけ鳥、なかでもカラスを描いた詩は多い」「この詩集のカラスは、カラスという仮面をかぶったヒューズ自身なのだともいえる」と、訳者解説にもある。

いささか面食らっているとき、現実のカラスの「いたずら」、いや「遊び」を目撃した。鳥としての、生物としてのカラスの賢さにあらためて感心した。

カラスは樹上だけでなく、電柱にも営巣する。停電の原因になるので、電力会社はカラス除けを設置する。

わが家の近くにあったのは黒いお玉を十字に四つ付けたような風車で、風を受けると回転する。今は黄色い風車が主流のようだ。

先日、近所のコンビニの前で知人を待っていたら、頭上からカラスの鳴き声が降ってきた。見上げると道路向かいの電柱にカラスが止まっている。

そばには黄色いカラス除けの風車があった。微風が吹くだけで風車は回る。風車に初めて遭遇したとき、カラスは「なんだ、これは?」といぶかしがったにちがいない。

が、今はなんとこの風車を遊び道具にしている。風車にくちばしを当てて振り、黄色い風車がくるくる回るのをながめている。止まるとまた同じ動作をして風車を回す。

ある年、行政区内にあって、だれの土地でもない場所に立っている電柱の件で、東北電力の担当者がわが家へやって来た。

用事は簡単だった、行政区に借地料を払うための書類に記入して判を押した。それから少し雑談をした。

盛り上がったのは、カラスに話が及んだときだ。カラスは洗濯物干し用のハンガーを巣の材料にすることが多い。

電力会社は電柱の巣を見つけると除去するのだが、そしてまたいろいろ手を打つのだが、カラスはそれにもすぐ慣れる。いたちごっこだという。

先日見た遊びは、電柱のカラス除けを逆手に取ったものだった。カラス詩集の欲求不満はそれで解消された。

肝心の詩集の方だが、「カラス 下界に降りる」の中にこんな詩句があった。カラスは「星が、暗黒のなかに蒸散していくのを見た。虚空の森のキノコとなって神のウイルス、キノコの胞子を曇らすのを見た」。

キノコの胞子は神のウイルス、か――。特異な比喩である。これだけでも詩集を読んだかいがあった。

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