2011年7月23日土曜日

ビッグイシュー日本版


わが家の向かいの家で寝泊まりしているシャプラニール(NGO)のスタッフが「ビッグイシュー日本版」第171号(7月15日発売)を届けてくれた。特集「いま、フクシマ」で奮闘中のNPO ・NGOの一つとしてシャプラニールが紹介されている。スタッフ本人がいわきの事務所で取材を受けた。

「ビッグイシュー」を手にするのは初めて。表紙に<ホームレスの仕事をつくり自立を応援する><300円のうち、160円が販売者の収入になります>とある。東北では仙台市内の3カ所で売られているだけ。地方都市では売る人間がいない。それでいい――そういう売り方を旨とした雑誌なのだろう。

特集では、シャプラや「ハートネットふくしま」など5団体の活動を取り上げている。前段に、避難所ルポと郡山市に移転した富岡町役場のこと、川内、飯舘村長のインタビュー記事が載る。手がけたのはいわき勤務の経験がある女性記者だ。新聞社(県紙)を辞めてフリーになったのだ。

シャプラの記事の次ページに雨宮処凛さんの連載エッセー「世界の当事者になる」が載る=写真。114回目は<原発と戦後日本>。社会学者の開沼博さんから聞いた話がつづられている。開沼さんは27歳。いわき市出身で、東大大学院博士課程に在籍している。

開沼さんが書いた、400ページに及ぶ『「フクシマ論」――原子力ムラはなぜ生まれたか』(青土社)を一気に読み終えたところで、雨宮さんの文章を読み直す。

開沼さんに「『日本に原発がどういう経緯で作られ、今に至るのか』という話をうかがったのだが、それはまるで壮大なミステリーなみのストーリー」「何か原発自体が『日本の戦後』の繁栄と矛盾そのものの『生き証人』のようにさえ見えてくるのだ」。

開沼さんには、原発のある浜通りに精神の根っこがある。その若い学者に教えられたのは、次のようなことだ。

「3・11以前の福島は思いのほか『幸福』に満ち、3・11以後も彼らはその日常を守ろうとしている」「福島において、3・11以後も、その根底にあるものは何も変わってはいない。私たちはその現実を理解するための前提を身につけ、フクシマに向き合わなければならない」

前提とは、中央に対する地方の自動的・自発的服従、ということになろうか。それが「原子力ムラ」における「幸福」をもたらした。そのムラは離散状態だが、「幸福」をもたらす青い鳥はまだそのへんにいるらしい。「3・11」をはさんだビフォー(親原発)・アフター(脱原発)は単純ではない。

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