2009年5月22日金曜日

同級生の訃報届く


ケータイに「着信」の表示があった。気づいたのは夕方。着信時間は朝、実家の兄からだった。小・中学校と同学年だったO君が死んだ。腹部大動脈瘤破裂による急死だった、という。

「団塊の世代」のど真ん中。阿武隈の山の中の町・常葉(現田村市常葉町)で生まれ、育ち、一緒に学んだ。同学年は中学校卒業時、232人。去年(2008)2月、還暦同級会を郡山市の磐梯熱海温泉で開いた。そのときに代表あいさつをした地元組3人のうちの1人がO君だった。

同級会の資料を読み直した。そのとき、既に14人が鬼籍に入っていたことが記されている。そこに今度はO君が加わった。

今までに風の便りで訃報を聞いたのは4人だったか。10代後半で病死したY君。21歳のころに交通事故で亡くなった別のY君。坂を越えて隣接する地区にいたA君。西の小学校から来て妙にウマがあったT君。

いや、もう1人いる。小学校5年生のとき、私といつもつるんで悪さの方棒をかつぎ、私と一緒に担任にこっぴどく叱られていた、わが友「サル」ことW。Wは若くして利根川でおぼれ死んだ。泳いでか、いや釣りをしていて飲み込まれた――そんなことを昔の同級会で聞いたとき、胸が張り裂けるような思いがした。

O君は小学1年生のときから1人、飛び抜けて巨体だった。背が高く、太っていた。でも、ぎゅっと肉はしまっていた。中学校ではバレーボール部で一緒だった記憶がある。9人制の時代。私もO君に近いくらいに背が伸びて、前衛をまかされた。彼も前衛ではなかったか。

中学校には3つの小学校の卒業生が進学した。西の西向小、東の山根小。そして、一番数の多い真ん中の常葉小学校卒業生でもあるO君や私らは、昭和31(1956)年4月17日の夜に大火事に遭った。東西に伸びた一筋町。罹災を免れた地区もあるが、おおかたは家を焼失した。                                       
そういえば、去年の同級会で大火事の避難先を聞いたとき、幼友達だった1人(女性)は東の山根小とこたえながら、急に火災旋風を思い出したのか、「歯がガチガチした」と、そのときの恐怖を語った。こちらは、歯はガチガチしなかったが、電信柱によりかかって心がガチガチになっていた。O君もそんな1人だったろう。               
救急車で病院へ運ばれ、亡くなったのはおととい(5月20日)。その日に撮ったアヤメの写真をO君の魂に捧げる。

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