2009年5月31日日曜日

サトウハチローの色紙


若い仲間がサトウハチローの色紙=写真=を持ってきた。九谷焼か有田焼かよく分からないが、カラフルな梅花の銚子と夫婦(めおと)ちょこの絵に、ハチローが「二人で歩む 遠い道もくたびれない」という言葉を寄せている。左隅に「千」とあるから、絵は俳画家水野千齢が描いたのだろう。

きのう(5月30日)、野口雨情記念湯本温泉童謡館でおしゃべりをした。童謡館らしいものをと頼まれ、毎月1回、童謡詩人について調べたことを報告している。

金子みすゞ、その師・西條八十という流れできているから、次はおのずと八十門人のサトウハチローとなり、5、6月はハチローについて話すことにした。それを知っている仲間が参考にと色紙を貸してくれたのだった。

色紙の言葉に「嘘つきハチロー」らしいと思った。ハチロー自身の実生活ははちゃめちゃ。色紙の人生とは反対の人生を生きた。「遠く険しい道を、長い人生を夫婦で歩む。睦み合い、助け合いながら。二人三脚だからこそ、くたびれずに前へ向かって行くことができる」。名もなく貧しく美しい庶民の夫婦愛をうたう。「くたびれない」に詩人のひねり・機知がある。

ハチローは「泣き虫の不良」だった。エゴイズムと無邪気な感情が背中合わせになっている人間だった(佐藤愛子「血脈」あとがき)。父親の作家佐藤紅録の血を引き、嵐のように実生活を走りぬけた。家族はたまったものではない。この矛盾の深さ・大きさがむしろ、ハチロー作品を魅力のあるものにしている。

歌謡曲の「リンゴの唄」「長崎の鐘」「悲しくてやりきれない」、童謡の「うれしいひなまつり」「ちいさい秋みつけた」。随所に小さなもの、かそけきものに対するまなざしが感じられる。とりわけ、ザ・フォーク・クルセダーズの「悲しくてやりきれない」は、わが青春の真っただ中にはやった思い出の歌である。

サトウハチローについて調べれば調べるほど、人格と作品は別だという思いが深くなる。生身の人間としてのハチローには敬遠のフォアボールを出したい。が、作品は親愛の度を増していく。これもまた矛盾ゆえの魅力だろう。

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