2009年5月17日日曜日

スペイン風邪と安政コロリ


幕末、大江戸で名をはせた俳諧宗匠の1人に出羽国で生まれ、磐城平の専称寺(浄土宗名越派総本山)で修行した一具庵一具(1781―1853年)がいる。その彼の端午の節句の句。「末の子は隠居で育つ幟(のぼり)哉」。といっても本人は独身。現代ならこんな光景か=写真。無論、飛行機雲は20世紀の産物だが。

一具が死んで5年後の安政5(1858)年、コロリ(コレラ)が大流行する。一具の跡目を継いだ小川尋香は越後の俳人にあてて「悪病流行数万病死、己(すで)ニ当月祖郷、得蕪、西馬遠行あハれむべし」と書いた。

一具と親交のあった宗匠連、過日庵祖郷が8月7日、福芝斎得蕪が同12日、志倉西馬が同15日、コロリで死んだ。絵師の歌川広重も同じ年の10月12日にコロリにかかって死ぬ。

新型インフルエンザの患者が日本国内で初めて確認された。連日の報道もあって、ざっと90年前、大正7(1918)~8(1919)年にかけて、世界で流行した「スペイン風邪」のことが気になった。「安政コロリ」も同様だ。といって、何かを調べるわけではない。

最近読んだ酒井忠康著『早世の天才画家』(中公新書)、たまたま手元にあった「銀花」17号(1974年)などで、「スペイン風邪」で死んだ画家や詩人、俳人を知った。

村山槐多(1919年2月20日没)、関根正二(1919年6月16日没)。その前年には島村抱月(1918年11月5日没)、アポリネール(1918年11月9日没)。大正9(1920)年1月20日には、いわきにも縁の深い大須賀乙字がスペイン風邪をこじらせて肺炎にかかり、死んだ。島村抱月が死んだ2カ月後に、松井須磨子が後を追う。

哲学者内山節さんの近著に『怯えの時代』(新潮選書)がある。文字通り、見えないものにおびえて暮らす日々。せめて小さい者のいのちが明日へとつながっていくことを祈る。

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