年末の30日、夏井川渓谷の隠居へは行けなかった。床の間にもちを供え、玄関に松とヒサカキの枝と「りんぼう」(輪飾り)を飾らないと――。「一夜飾り」はいけないというので、元日午後、夫婦で出かけた。
その帰り、小川町の平地に下りてコンビニへ寄った。冷凍しておいた干し柿を解凍し、それにアイスを載せて正月の食べ物にする。そのアイスを買うためだった。
カミサンが車に戻って来るなり、はいていた靴の底を見せる。左足の親指がのぞいていた。
今は高校生になった下の孫が小学3~4年生のころまではいていた靴だ。はけなくなったのでリサイクル用にと、わが家に届いた。カミサンにはちょうどいいサイズだった。「おさがり」ならぬ「おあがり」である。それから6~7年、とうとう親指の底がすり切れた。
ちょうど同じ時刻、南(平方面)の空に、灰色の雲海が水平に広がっていた。その下、小丘のスカイラインと雲海の間は西日に照らされて明るい。
雲海から下の空に、シャワーのように灰色の粒々が降りている。雨か雪が降っているようだった。
「あれっ、雨が降ってんじゃないの?」。私がいうと、カミサンが応じた。「御降(おさがり)!」
「いや、おあがりだろ」。ん、ん、ん? カミサンがけげんな表情をする。そうか、カミサンは遠方の空を見て、「御降」といったのだ。
正月三が日に降る雨か雪を「御降」という。季語にもある。今は「死語」に近い。そのことを、夏井いつき『絶滅寸前季語辞典・下』(大活字本)を引用しながら、ブログに書いた。
ブログを書いた本人は、カミサンの靴底の穴が頭にあった。「御降」にではなく、靴底の残像に引きずられて「おあがり」が口からこぼれた。トンチンカンなのはこちらだった。
翌2日は、カミサンの実家へ年始のあいさつに行った。午後遅くなってまた出かけ、帰りは午後3時ごろ、国道49号経由でマチに出た。最初は雨が、やがて「ぼたん雪」が降ってきた=写真。
ちょっと前までは、平の西方の山並みがすっぽり雨雲に覆われ、「雨が来るな」そう思っていたのが、ほどなく車のフロントガラスを濡らすようになった。
しかも、それがだんだん白くなる。雨から「ぼたん雪」に変わった。これこそいわきの初雪、しかも「御降」だ。
このまま降り続いたら、次の日が思いやられる。道路が白くなったら、どこへも行けない。
案じながら帰宅すると、1時間後には雪もやみ、地面もぬれただけだった。ただの「通り雪」だったか。
山は冠雪するかもしれない。その心配も消えた。3日朝に見ると、西方の山並みはいつもと変わらない冬枯れの景色だった。「おあがり」ならぬ「おしめり」程度の「御降」でよかった。
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