暮れに「常陽藝文」2026年1月号が届いた。特集は「川瀬巴水に<茨城>を読む――母子の声と子の息づかい」=写真。おや、「藝文」にしては遅いぞ。表紙を見たときの反応がこれだった。
川瀬巴水(1883~1957年)は近代の浮世絵師・版画家である。「アップル」の共同創業者の一人、故スティーブ・ジョブズが子どものころ、巴水版画に出合い、影響を受けたことをなにかの雑誌で読んだ。3年前のことである。
それで図書館から『川瀬巴水探索――無名なる風景の痕跡をさがす』(文学通信、2022年)を借りてきた。
全国紙が購読者サービスとして配った巴水の作品のコピーが家にあった。それも見て、ブログで巴水に触れた。茨城に関する部分を抜き書きする。
――『川瀬巴水探索』は、お隣の茨城県人で組織する「川瀬巴水とその時代を知る会」が編集した。
「旅する版画家」が茨城を訪れ、平潟や五浦のほかに水木(みずき=日立市)、水戸・大野、磯浜(大洗町)、潮来などで写生した。
その作品が描かれた場所を、茨城を中心に探索し、当時を知る人に話を聞いたり、現在の様子を報告したりしている。
「平潟東町」は昭和20(1945)年に摺(す)られた。巴水が訪れてスケッチしたのは前年の11月11日。
平成23(2011)年3月11日の東日本大震災の津波で、当時をしのばせるものは何一つなくなった。が、ツテを頼って当時を知る人に会い、話を聞くことができた。
それを踏まえて版画の構造的な分析に入る。見た目は1軒の家のようだが、実際には4軒の家が描かれている。その家にまつわる生業(「鮟鱇鍋発祥の家」=食堂など)がわかってくる。
さらに、スケッチにはなく、版画に加えられたものに、筒袖の着物姿の女性がいる。当時の別のスケッチには、たらいで水洗いをするもんぺ姿の女性が描かれていた。
もんぺ姿を筒袖の着物姿に変えたのは、「終戦によって戻った日常の安堵感を表したのだろうか。または、このような平安な日常であってほしいという巴水の想いなのだろうか」と担当筆者は推測する――。
それから想像をめぐらせる。平潟に来ているなら、勿来の関にも足を伸ばしているはず。
清水久男『川瀬巴水作品集』(東洋美術、2013年)に、昭和29(1954)年に刷られた「勿来の夕」が載っていた。
巴水が茨城県・平潟を訪れてスケッチしたのは昭和19年。「勿来の夕」はそれからおよそ10年後に制作された。それについてもブログで触れた。
さて、「常陽藝文」の特集である。作家の林望さんと茨城キリスト教大学の染谷智幸教授らが筆を執っている。
茨城関係26作品のマップも載る。なかでも。「平潟東町」を詳細に分析している。巴水は黎明期の茨城キリスト教学園ともつながっていた。このあたりが特集のポイントだった。
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