2026年7月10日金曜日

『老いるショック』

                                             
   5月中旬の新聞切り抜きだからもう2カ月前になる。朝日新聞に作家の五木寛之さんのインタビュー記事が載った。

タイトルは「93歳の死生観」。見出しには「死は日常の延長に/個人のものとして/自然に逝きたい」とあった。

90歳を過ぎて咽頭がんの告知を受けたという。その経験から「死ぬことぐらい、個人のものではないか」「自分で生きて自分で死んでいきたい」と思ったそうだ。それが見出しに反映されている。いかにも五木さんらしい死生観ではある。

それよりなにより、前文に出てくる「多死時代」が目に留まった。「多死」とは団塊の世代を意味する言葉だ。

 団塊の世代は戦後すぐの昭和22(1947)~24年に生まれた、第一次ベビーブーム世代を言う。

きょうだいに例えれば、私は次男だ。長男(長女)267万人、次男(次女)が268万人、三男(三女)が269万人と、この世代は飛び抜けて出生数が多かった。

 日本の高度経済成長期を突っ走ってきた世代も、今や80歳目前だ。生まれてから後期高齢者になるまで、受験戦争、学園紛争、核家族化、バブル経済、大量退職と、さまざまなシーンでインパクトを与え続けてきた。そして今、「多死」の時代を迎えているというわけだ。

「多死」については、拙ブログの6月18日付「地元の葬祭場」でも触れている。その一部を要約・再掲する。

――団塊ジュニア(1971~74年生まれ)が高齢期を迎える2040年ごろがピークで、火葬待ちの長期化、墓の維持の困難といった問題が指摘されている。

多死の始まりはジュニアの親たちだろう。私ら団塊の世代のことである。間もなく80代。自分のための葬祭場利用を考えないといけない年代になった。

葬祭場は身近にあった方がいい。近所の人のためにも、家族のためにも、住み暮らしていた地域で葬儀が営めればそれに越したことはない――。

 団塊のひとりとしては、やはり「多死」という言葉に鈍感ではいられない。なにが多死か、だが。

五木さんの言うように、死は個人のものである。「個死」がほかの世代より多いという意味では、確かに「多死」だが、「個死」であることに変わりはない。

 「多死」に至るまでには「多病」がある。「生老病死」でいうと、「生」のピークを過ぎて「死」を迎える間の「老病」である。

 「老病」意識が強まってきたなかで、おもしろい駄じゃれを見つけた。『老いるショック』

『老いるショック大賞』という本の広告が新聞に載った。図書館のホームページをのぞくと、「予約中」になっていた。

先行する本にフジテレビ系長期連載ドキュメント「老後」を書籍化した『老いるショック』があった。

後期高齢者にはどんな多病と老衰が待っているのか。それを知りたくて、図書館から借りて読んでいる=写真。

テレビ局の若いディレクターによる老いの疑似体験が参考になった。介護・介助用具・心構え……。これから未知のゾーンに入っていく。

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