この1カ月余、星野道夫の本を読んでいる。図書館から最初に借りたのは大活字本『旅をする木』だった=写真。
返却日の1日前、2週間の貸し出し延長を申し込んだら「予約が入っている」と言われた。
故東野圭吾や夏川草介同様、星野も写真家ながら作家として高く評価されているのだろう。
星野の本を読み始めるとすぐ、ネパールで氷河と岩壁が崩落し、巨大な土石流が発生して多くの犠牲者が出た。きょう(9月26日)で事故から丸1カ月になる。
地球は、自然はどうなっていくのか? それを考えるために星野の本を読んでみようという人が増えているのかもしれない。
『旅をする木』にこんなくだりがある。「カリブーの仔どもが寒風の吹きすさぶ雪原に生み落とされるのも、一羽のベニヒワがマイナス五〇度の寒気の中でさえずるのも、そこに生命のもつ強さを感じます」
文章はさらに続く。「けれども、自然はいつも強さの裏に脆(もろ)さを秘めています。そしてぼくが魅かれるのは、自然や生命のもつその脆さの方です」
自然の持つ「脆さ」とは? 傷つきやすい生態系とか温暖化による変化だけではない。もっと直截的なものに違いない。
自然という現場に潜む危険、つまりは死を孕んだ世界に全身・全神経で立ち向かう、そんな極限状況のことではないのか。
アラスカやネパールと比較すること自体無理があるが、私が毎週日曜日、身を置く夏井川渓谷でも、ときどき自然の脆さを感じる。崖の落石だけではない。
隠居の庭の菜園にカブの種をまいたら芽を出した。やがて若葉が広がると思う間もなく、虫に食いつくされた。
一度種をまいて育てた辛み大根は、翌年からは「ふっつぇ」(こぼれ種)が芽を出し、冬にはずんぐりと肥大した根になる。しかし、耕すとかえって根は細く伸びるだけで肥大しない。
庭のモミの木の根元に生えるアカモミタケは、枝と幹が強剪定で立ち枯れると発生が止まった。自然と自然は危ういバランスでつながり、保たれているのだ。
星野はアラスカの先住民たちと暮らすうちに、自然と人間の関係についても考察を深める。
未踏の大自然だと思われた原野は「太古の昔から、足跡を残さぬ人々の物語に満ちている」。なるほど。そう考えると納得がいく。
星野の文章のエキスを集約したエッセー集に『約束の川』(平凡社、2021年)がある。このエピソードはその中に出てくる。
極北の人々は「生きのびてゆくために、いつも動物たちを見つめて暮らしてきた。どの動物を狩ってきたかによって、人間も違ってきた」。
たとえば、ある村のインディアンの動きはカリブーのように、ユーコン河のインディアンは急流をさかのぼるサーモンのように。
自然と人間の関係はその土地の風土と結びついて形成される。いわきでもウミとヤマとでは暮らし方(文化)が違う。その違いを踏まえて地域と地球の変化を見ていく必要があるということだろう。
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