2008年6月7日土曜日

夏井川でテレビドラマロケ


きのう(6月6日)の朝9時半ごろ、車でいつものように夏井川の堤防の上からいわき駅前の「ラトブ」へ向かった。平・鎌田の平神(へいしん)橋へ近づくと、河川敷に人がいっぱいいる。撮影隊らしい。映画? テレビドラマ? 河川敷と橋のたもとに数十人が密集している=写真。

そばを通過するときに、チラッと河川敷を見た。「あれっ、三浦友和じゃないか」。いかにもスタッフだと分かるTシャツ集団の中に、白っぽいスーツに身を包んだ端正な横顔が見えた。

泥沼に咲くハスの花。いや、努力とは無縁の、天から与えられた黒髪と美貌。男に「美貌」という言葉を使いたくはないが、ほかに思いつかない。ほんの一瞬のことなのに、その顔だけが輝いて見えた。

テレビを通して見るとナヨナヨだが、ナマの姿はさっそうとしていて男らしい。<スターとはそういうものか。百恵ちゃんが好きになるのも当然だな>。このところ経験しなかった「かっこいい人間」が強い残像となって、まぶたの裏に刻印された。

どんなドラマかは分からないが、橋の下の物語には違いない。「ブルーハウス」がセットされ、縦割り半分にして脚を4本つけたドラム缶のような、炭火焼きのバーベキューセットが用意されていた。

それを見たとき思い出した。もう何日も前だが、同じ時間帯にそこを通ったとき、同じ炭火焼きの道具を出してこれからバーベキューをやろうとする(かのような)じいさんがいた。<酔狂にもほどがある>。そう思ったが、ロケハンだったのだ。

橋の下のブルーハウス、バーベキュー、スーツ姿の主人公――とくれば、なんとかサスペンス劇場かワイド劇場だろう。少年がホームレスを襲ったかなにかして、三浦友和ふんする刑事か探偵か弁護士かが現場へやって来た、そんなシーンを撮影したのだろう。

お昼過ぎには、もう影も形もなかった。手早く撮影して手早く撤収する。それが彼らの流儀らしい。夏井川を毎日見ている人間に、夏井川が気をきかしてプレゼントしてくれた、ちょっと変わった光景。わが胸の中の「夏井川ノート」に新たな記録が加わった。

2008年6月6日金曜日

熱帯菌「ダイダイガサ」


「いわきキノコ同好会」の会報第13号が届いた=写真。キノコ観察会記録や報告のほか、肩の凝らないエッセーなどが掲載されている。

末尾に収められている「観察会既採集菌一覧」に興味をそそられた。同好会では毎年2~3回、いわき市内の山でキノコ採集会を開き、どんなキノコが生えているかを調べる。さらに双葉郡楢葉町の委託を受けて、8回にわたって同町の菌類を調査した。「採集会一覧」には両方の調べで得られた菌類が網羅された。

1回は楢葉の調査と重なっているから、実回数は平成8~19年の12年間で32回だ。その結果として、特定できないもの(不明菌・仮称)も含めて採集されたキノコは561種に達した。内訳を記すと、【真菌門】が①ハラタケ類396種②ヒダナシタケ類83種③腹菌類16種④キクラゲ類6種⑤子嚢菌類40種、【変形菌門】が20種である。

特筆されるのは、熱帯菌の「ダイダイガサ」が楢葉町、いわき市湯本町・平の石森山・四倉町で確認されたことだ。どんな経路でいわきまで胞子が来たか。空からか、海(港)からか。ゆゆしいことではある。

絵本などでおなじみの「ベニテングタケ」は、観察会では確認されていない。同じく、キクラゲ類の中に「アラゲキクラゲ」はあっても、「キクラゲ」はない。このへんがいわきの菌類の面白いところだ。

いわきは南方系と北方系の生物がせめぎあい、重なり合う地域。キノコに関しても同じことが言える。すでに阿武隈産トリュフが発見されている。その延長線上でキノコに思いを寄せていると、「新種発見」も夢ではないかもしれない。

2008年6月5日木曜日

ジャケツイバラの黄色い花


平のマチから山へ向かって車を走らせると、小川町上小川字高崎地内で急な坂道になる。夏井川渓谷はそこから始まる(川の流れからいえば渓谷が終わるところだが)。

その入り口、夏井川第三発電所付近、一部杉林のある道路沿いの岸辺に黄色い花が咲いている=写真。何年か前、いわき市観光物産協会(現いわき観光まちづくりビューロー)発行のポシェットブック『いわき花めぐり』をパラパラやっていたとき、同じ黄色い花が載っていて、やっと「ジャケツイバラ」と分かった。

ジャケツイバラは日当たりのよい山野や河原に生えるマメ科のつる性落葉低木で、茎にも葉にもトゲがある。それがもつれるように曲がりくねるところから「蛇結茨」の名がついたという。蛇の穴の「ジャケツ」とみる人もいるらしい。

総状花序に花をつけたときの、黄色い花のかたまりが見事だ。色が派手なのに清潔感がある。忘れがたい花、でも茎葉に触るとけがをする。まさにバラ線。

『いわき花めぐり』には二ツ箭山の登山口付近のジャケツイバラが紹介されていた。夏井川渓谷沿いの県道では、私はその渓谷の入り口だけでしか見ていない。もっとしっかり見ればあちこちに自生しているのだろうが、同じマメ科のフジの花のようには目立たない。

なぜか引かれる花である。トゲのある美人が少なくなったからか。

2008年6月4日水曜日

池波正太郎の風邪予防対策


作家の故池波正太郎さんが『男の作法』のなかでこんなことを語っている。

「冬なんかに、ちょっときょうは寒い、風邪を引きそうだなあと思ったときは、入浴をしても背中は洗わないほうがいいよ。(略)背中の脂っ気がなくなってカサカサになっちゃうと、そこから風邪が侵入してくるわけ」

土曜日(5月31日)に標高600メートル前後の「いわきの里鬼ヶ城」へ行ってきた。雨に濡れたわけではないが、背中に冷たい風がさわるような感覚があった。それが始まりだったらしい。月曜日になって鼻がむずむずしてきた。背中もかすかにザワッとする。

池波さんいうところの、背中から風邪を引いた――と感じたので、急いで風邪薬を飲んだ。それがよかったのか、火曜日にはボーっとした感じが少し治まった。鼻水が垂れることもない。

5月はさわやかな月の印象があるが、実際はどうなのか。小名浜測候所の観測によると、今年の5月の平均気温は14.8度(平年15,1度)、日照時間は156時間(平年198.4時間)、降水量は185.5ミリ(平年147ミリ)と、平年よりは寒くて雨が多かった。カラッとさわやかな日は確かにあったが、長続きはしなかったのだ。

快晴・薫風と同時に、曇雨天・冷風に見舞われる5月。孫が風邪を引いて熱が下がらない、というので、週末の対面はしばらくおあずけになった。こちらも風邪を引いたからいたしかたない。

「梅雨に入ったようなものですね」があいさつ代わりになるほど、ジメジメシトシトの日が続く。いわき駅前の「ラトブ」から眺めた街も、風邪を引きそうなくらいに寒々としていた=写真。今朝、空を仰ぐと「雨過ぎて雲切れるところ」に、うっすらと青空がのぞいていた。例年だと、あと1週間以内で東北地方南部も梅雨入りをする。池正流風邪予防対策をお忘れなく。

2008年6月3日火曜日

「セドガロ」と二箭会


草野心平のいとこで長らく中学校の校長を務めた故草野悟郎さん(通称「ゴロー先生」)に『父の新庄節』という随筆集(昭和62年刊・非売)がある。中の『縁者の目(上・下)』に「背戸峨廊(セドガロ)」命名のエピソードが紹介されている。

敗戦をはさんでゴロー先生一家が今のいわき市小川町へ帰郷し、中国から心平の家族が心平の生家へ引き揚げ、心平もやがて長男、次男を連れて戻って来る。するとすぐ、心平の発案で何でもいいから、村を明るくすることをやろうという自由な集まり「二箭(ふたつや)会」ができた。

「二箭会」はむろん、心平の生まれ故郷の二ツ箭山にちなんだ名前だ。疎開していた知識人の講演会や、村の誰もが歌える村民歌(「小川の歌」=作詞は心平)の製作、子供たちによる狂言、村の青年によるオリジナル劇の上演などを手がけた。

江田川(背戸峨廊)を探索して世に紹介したのも「二箭会」の功績の一つだったと、ゴロー先生はいう。

「元々この川(注・江田川のこと)は、片石田で夏井川に合流する加路川に、山をへだてて平行して流れている夏井川の一支流であるので、村人は俗に『セドガロ』と呼んでいた。この川の上流はもの凄く険阻で、とても普通の人には入り込める所ではなかった。非常にたくさんの滝があり、すばらしい景観であることは、ごく限られた人々、鉄砲撃ちや、釣り人以外には知られていなかった」

私が聞いていた話とほぼ同じである。というより、探検に加わった当事者の一人の貴重な記録である。「セドガロ」に関する一番正確な文章がこれだと断言してもよい。

ゴロー先生は続ける。「セドガロ」の噂を江田の青年から聞いて、一度皆で探検してみようということになった。

「私たちは、綱や鉈(なた)や鎌などをもって出かけて行った。総勢十数名であった。心平さんは大いに興を起こして、滝やら淵やら崖やら、ジャングルに一つ一つ心平さん一流の名を創作してつけて行った=写真は背戸峨廊入り口のルートマップ板。蛇や蟇にも幾度も出会った。/その後、心平さんはこれを旅行誌『旅』に紹介して、やがて、今日の有名な背戸峨廊になった」

「セドガロ」という呼び名がもともとあって、心平がそれに漢字を当てた。滝や淵の名前は確かに心平が創作した。それも「二箭会」あってのことだ――ゴロー先生はそのことを書き残しておきたかったのだろう。「セトガロウ」だの「セトガロ」だのはやはり間違い、ということがこれからも分かる。

いわき観光まちづくりビューロー(6月1日、市観光物産協会を発展的に解消して発足)は自信をもって間違いをただし、「セドガロ」の普及に努めてほしいものだ。

2008年6月2日月曜日

河川拡幅工事始まる


平・神谷(かべや)地内の夏井川右岸で河川拡幅工事が始まった。

国道6号バイパス終点、夏井川橋下の河川敷がある日、ぽっかり開けて見通しがよくなった。何かある。対岸へ渡って確かめたら、河川拡幅工事を告げる看板が立っていた。工事のために樹木を伐採したのだ=写真。

「この工事では河川内に堆積した土砂を掘削することにより、台風や豪雨でも安全な川を整備する工事です。又、地域の皆様に愛される川づくりを進めますので、工事中のご協力をお願いします」。「この工事では」が「工事です」で終わる文章は日本語になっていない(ほんとうは「この工事では…川を整備します」だろう)。

発注者はいわき建設事務所で、3月21日から11月27日までの予定で、長さ408メートルにわたって1万3,261立方メートルの土砂を掘削する、といったことが看板に書かれてあった。

平市街地の東端、鎌田町から下流の夏井川は一度、拡幅工事が行われて広くきれいになった。それが、年を追うごとに中州ができ、岸辺に砂が堆積して木々が生えた。右へ大きく蛇行する塩と神谷の境界付近では左岸が深くえぐりとられて、立ち入り禁止のロープが張られた。

それだけではない。このところ、大水後の「置き土産」がかなり目立つ。一度は広がった川幅が狭まり、ヤナギが生え、ハリエンジュ(ニセアカシア)が生え、河川敷のサイクリングロード沿いにソメイヨシノが植えられて、いよいよごみが木に絡まるようになった、ということもあろう。

市民によかれと思ってやる公共工事が、自然にとってはストレスをためることになる。特に、海や川は水が激しく流動する。担当者は自然をコントロールできるなどとは思っていないだろうが、河川工学の限界が「堆砂」として川岸や川の中央に現れた。

一度工事したらそれで終わり。海や川がそうなら、こんな楽なことはない。「シジフォスの神話」と同じで、人間による改修と自然による改変とを永遠に繰り返していくしかない。ただ、そのあんばいが今のかたちでいいのかどうか、という疑問は残る。悩ましいところだ。

2008年6月1日日曜日

雨のいわき市植樹祭


いわき市で二番目、ほかの町村にまたがらない山としてはいわき市で一番高い鬼が城山(887メートル=川前町)のふもと、「いわきの里鬼ヶ城」で5月31日、市植樹祭が行われた。

カミサンに案内状が来ていたので、雨の中、運転手を兼ねて出かける。

「いわきの里鬼ヶ城」は標高600メートル前後の斜面に研修・レジャー・宿泊施設が展開するネーチャーランド。晴れていれば眺望がきいて、カッコウなどが鳴いているのではないかと思わせるほど、開けてせいせいとした高原だが、雨が冷たかった。

バーベキューハウスのある多目的広場から山里生活体験館に会場を変更して開会式が行われた。正面に「私たちは、『森』『川』『海』が大好きです‼」の横断幕が張られてある。市長があいさつし、国会議員などが祝辞を述べた。地元桶売小と小名浜海洋少年団の子供たちが一緒になって「ちかいのことば」を斉唱した。

多目的広場で記念植樹が行われたあと、施設近くの元牧草地へ移動して、市民らによる一般植樹が行われた=写真。用意された苗木はヤエザクラやシダレザクラ、ヤマボウシなど520本。カミサンはヤマボウシとヤブツバキを植えた。

さて、雨の植樹祭、結構ではないか――。素人はそう考えるが、ことは単純ではない、らしい。植樹をしたあとに雨が降れば「恵みの雨」だが、植樹の前に雨が降り続くと苗木が「根腐れ」を起こしかねない。市長が「恵みの雨」を強調すると、「山が分かっていない」、知り合いがつぶやいた。私も「恵みの雨」と思っていたので、ギョッとした。

それから、もう一つ。いわきの森林、ということは日本の森林全体にいえることでもあるが、手入れされずに放置されている人工林が多すぎる。「枝打ち・下草刈り・間伐。それが必要な現状にもっと目を向けるべきだ。『植樹祭』より『育樹祭』が大切なんだよ」と、知り合いは付け加えた。それも一つのアイデアだろう。

山を買うか、というところまではいかないが、山を眺めているだけでは何も始まらない――。そんな感想を抱いた植樹祭でもあった。