オールドメディア(新聞)でメシを食ってきたためだけではない。小学校高学年のころから、新聞を読むのが好きだった。
実家は阿武隈の山里の床屋。日中は客のために、店に新聞を置いていた。客がいなくなった午後遅く、学校から帰るとよく店で新聞を読んだ。
ニュースだけではない。連載小説も愛読した。子どもだから読めない漢字もある。それでも何とか読み方を想像して先に進む。
現場から離れた今は一読者に戻って、毎日、活字の海をサーフィンする。よく言われることだが、新聞の特徴は種々雑多なニュース(情報)が何ページにもわたって、ページごとに「一覧」として表示されることだ。
なかでも注意して見るのは大きな見出しではなく、主に左隅っこにある「ジャミ記事」。「竜頭蛇尾」でいうと、各ページのトップは「竜頭」で、これは自然に目に入る。「蛇尾」は小さくて、意識して読まないと見過ごしてしまいがちだ。
そうやって右上から左下へ視線を移している途中、縦に長い囲み記事が目に入った。9月5日のことである。
県紙に載った「サンパウロ共同」発の記事で、見出しは「不動産広告に80年不明の絵画/ナチス略奪 南米で発見」、そして額縁に入った婦人の肖像画のカラー写真が添えられていた。
カミサンが新聞を読んだあと、そこだけ切り抜いて折り込みチラシの一種「お悔み情報」の裏に張り、手元に残しておくことにした=写真。
記事の概略はこうだ。第2次世界大戦中、ナチス・ドイツがオランダで略奪した絵画作品のうち、1点がアルゼンチン東部のマルデルプラタで見つかった。
イタリアの画家ギスランディが17~18世紀に描いた女性の肖像画で、オランダのユダヤ人美術商が所有していたものだった。
翌日の全国紙の記事も加味すると、ナチスの元高官は大戦後、アルゼンチンに逃亡し、マルデルプラタに住んだ。
その家が遺族によって売りに出され、不動産業者がネットに広告写真を掲載した。すると長年、この高官の過去を追い続けていたオランダの新聞記者が、部屋を紹介する写真の中に略奪された絵画作品が写り込んでいることに気づいた。
共同電からは、本人が記事にしたかどうかはわからない。が、略奪絵画の発見をオランダの地元紙(つまりはこの新聞社に記者が所属?)が取り上げ、アルゼンチンの警察が動いた。
しかし、家宅捜索をしたときには発見されず、後日、遺族が弁護士を通じて絵画を当局に引き渡した、というものだった。
新聞記者は、ふだんはニュース取材に追われている。ナチスが略奪した絵画や高官の過去は、いわば記者のライフワークと結びついたもので、アフターファイブの取材対象だったに違いない。その問題意識が略奪絵画の発見につながった。
新聞の一覧性の面白さ、新聞記者の執念。久しぶりに血=知が騒いだ。ついでながら、画家ギスランディとは……。新たな興味がわいてきた。
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