2010年10月28日木曜日

ツキヨタケ


毒でも会いたいキノコがある。そのキノコに遭遇した。

無量庵(夏井川渓谷)からの帰路、籠場の滝付近に車を止め、対岸の岩場を白く覆うダイモンジソウの花を双眼鏡で眺めた。と、倒木に白いキノコが群生しているのが目に入った。立ち枯れの大木にもサルノコシカケの仲間らしい、大きなキノコが生えている。

後日、それを確かめに森へ入った。その途中、谷側の斜面に倒れていた大木を見ると、見慣れないキノコが群生している。もしやツキヨタケ、と思って近づいたら、そうだった=写真。冒頭に書いた、毒でも会いたいキノコだ。何年ぶり、いや十何年ぶりだろう、この渓谷で出会うのは。

ふんわりした気持ちになって、目指す倒木と立ち枯れ木へと歩を進める。いちいち木に名前はつけない。が、この木が立ち枯れた、あの木が倒れた、ということは、定点観測を重ねているので分かる。すぐたどりついた。倒木の方のキノコはウスヒラタケだった。天然の乾燥品になっていた。サルノコシカケ系はちらりと見るだけにとどめた。

ウスヒラタケは、遅かったと思いつつも、3個ほど家に持ち帰り、水に浸した。一晩たったら、よみがえった。若いウスヒラタケの張りには比べようもないが、結構、それらしくなった。豚肉と一緒に油で炒めてもらった。まあまあ食べられる。乾燥状態でも採集可能なことが分かったのは収穫だ。

あとはクリタケ、ヒラタケ、そしてエノキタケ……。ツキヨタケが出たからにはムキタケも? というわけで、今年の秋のキノコ狩りは今しばらく続きそうだ。

2010年10月27日水曜日

コピアポ石


「コピアポ石(せき)」というものがある。いわき市立草野心平記念文学館で開催中の「草野心平と石」展で知った。心平の収集した石とは、直接の関係はない。関連展示の「いわきの鉱物」コーナーで、いわき産の一つとして紹介されている=写真。小瓶に入っていて、粉状で黄色っぽい。ラベルに「平南白土」とある。採集地だ。

企画展開催二日目の10月10日に観覧し、15日に知人を連れて再び文学館を訪れた。2回とも、鉱物に詳しい副館長から詳細な説明を受けた。

なぜ、コピアポ石か。チリの鉱山落盤事故が起きて、33人が地中深く閉じ込められていた。新聞は連日、コピアポから送られてくる特派員の記事を掲載した。無事に33人が救出されるように、という願いを込めて、「いわきの鉱物」コーナーの最上段、中央に飾られたのだった。

読者としては【コピアポ(チリ北部)】なんていう新聞記事のアタマは無視して本文に入るから、今、最も注目されているところと言われても分からない。副館長に教えられてやっと、チリ―落盤事故―コピアポがつながった。地下634メートルに閉じ込められた鉱山労働者33人が全員、2カ月余ぶりに2日がかり(13、14日)で救出された、その前後だった。

ハリウッドが好む、極限状況での生の帰還には違いない。それについてはだれもが承知の助だからふれない。が、落盤事故をたびたび起こすような保安体制の不備を指摘する声がある。むしろ、こちらの方に耳を傾けたい。

話は変わるが、今度の事故の報道に刺激されてパブロ・ネルーダの詩を再読した。少し心が潤った。

チリの10月は春の真っただ中。〈おれの祖国では 春は/北から南へとやって来る その香りとともに/コキンポの黒い石や/あわ立つしかめっつらした水辺をたどり/痛めつけられた群島までやってくる〉。コピアポはコキンポの北にある。そこではコキンポ以上に春が沸騰していることだろう。

2010年10月26日火曜日

モグラ君、こんにちは


庭の刈り草片づけにくたびれたので、ベンチにまたがり、テーブルにひじをつけて休んでいたら、足元を動く黒いかたまりが目に入った。頭胴長およそ7センチ。ノネズミか。いや、それにしては頭をもさもさしながら、苔のあいだにできたジグザグ道を行ったり来たりしている。

テーブルとベンチといっても、厚めの板3枚(それがテーブル)を丸太の脚4本で支え、同じ厚めの板に太めの枝4本を差し込んで脚にしたベンチが4つあるだけ。川内村の知人がつくった。テーブルも、その脚も長年、風雨にさらされ、腐朽が進みつつある。脚にも、板にもキノコが出はじめたので、それと分かる。

ぼろぼろになりつつある、その脚の底に黒い塊がもぐりこんだ。と、そこからとがった肉色の鼻をひくひくさせては、出たり入ったりしている=写真。モグラ、ではないか。どうした、こんな日中に。しかも、モグラ道はほとんど地上に生えている苔をならしただけにすぎない。土の中にもぐっていかないのだ。

モグラは畑の地中に道をつくる。地表すれすれのところでは、土が割れて盛り上がる。それで、野菜の根が宙に浮き、枯れることがある。モグラは畑の邪魔者だ。

が、地上でうごめく姿はおどおど、びくびくしていて、モグラは絶えずベンチの脚の底から出たり入ったりしている。カメラのシャッター音にも驚いて脚の底に引っこむ。

曇天、夏井川渓谷の無量庵。初めて見るモグラ(ヒミズか)に心がときめいた。カメラをとりにその場を離れたあとも、モグラの堂々めぐりは続いた。それをパチリとやると、やっと、モグラ君、こんにちは――そんな気持ちになった。やがて彼は草むらに消えた。

2010年10月25日月曜日

まんまる鍾馗さま


10月第三週にはいってからこのかた、日替わり・半日替わり、ときには2、3時間替わりで違う用事をこなさなければならない事態が続いている。ビジネスではない。区(自治会)なり所属する団体なりの行事や打ち合わせ、プライベートの約束が集中したのだ。予定がこんなにたてこむなんてことは現役時代にもなかった。

きのう(10月24日)は、朝6時に起きて家の周りの清掃をした。「秋のいわきのまちをきれいにする市民総ぐるみ運動」(3日間)のしめくくりだ。そのあと、区(自治会)の役員が参加して、区内にある県営住宅集会所の周辺の草刈りをした。

9時すぎには新田目病院(平)のバザーへ出かけた。家の周りの清掃と、8時からの集会所の清掃のあいまに、バザーの手伝いをするカミサンを病院へ送り届け、集会所の清掃が終わったら、今度は夏井川渓谷の無量庵へ行って、そっちの刈り草片づけをするために、カミサンを連れていかなければならない。

無量庵へ着いたのは11時前。刈り草片づけの前に、森へ入って「目星」をつけていたキノコのチェックをした(なんで「目星」なのか、その結果はどうだったのか、はいずれ報告したい)。それからしばらく刈り草をネコに積んで堆肥枠に押しこむ作業を続けた。たっぷり汗をかいて、へとへとになった2時前、「もう行こう」となった。

どこへ? 好間・榊小屋にあるギャラリー「木もれび」へ。「いわき絵幟 石川幸男(二世)個展」が27日まで開かれている。前置きが長くなったが、きょうはこの個展をぜひとも紹介したかったのだ。私以上にカミサンが興味を示している個展だったので、喜んでアッシー君をつとめた。

いわき絵幟は、端午の節句に男の子が強くたくましく育つことを願って、子どもの母親の実家から贈られた縁起物だ。今に続く風習だが、住宅・核家族・近隣関係その他から、絵幟を立てられるような家は郊外の農家に限られるようになった。

「絵師」の二世石川幸男は本名・石川貞治。アカデミックな勉強もしてきた「絵描き」だ。絵幟職人としての腕と画家としての技術が、新しい伝統を生みだした――そんな印象を持った。昔からの大きな絵幟はもちろんつくる。しかし需要はすでに、庭に高々と掲げる幟から室内に飾る幟へと変わってきた。

そこに絵描きの独創性が発揮された。「いわき絵幟雛形板絵」。布だけでなく板に絵幟の図柄を定着させる。伝統を未来へと引き継ぐ形のひとつが、そこにあった。50年後には板絵が当たり前になっているかもしれない。それだけの必然性、時代の流れ、のようなものを感じた。

それに加えて、二世には遊び心がある。「金太郎と鯉」は絵幟の代表的な図柄のひとつだが、「鯉」をアクアマリンふくしまが調査・研究に力を入れている「志意羅感須(シーラカンス)」に置き換えた、旧作の絵幟も展示した。まんまる顔の鍾馗とバイキンマンの弟みたいな鬼の板絵もある=写真。同じ「鍾馗」と「逃げ鬼」の連作墨絵額には、北斎漫画に通じるようなおもしろさを感じた。

絵幟としての節度を守りながらも、ふだんの暮らしのなかに絵幟を生かす作品づくりをしようという意欲を買いたい。なによりも、絵師としての緻密なウデがそれを支えている。

2010年10月24日日曜日

ハクチョウが来た


10月19日に、冬鳥のマガモがやって来た、山里ではジョウビタキも間もなくやって来るだろう、と書いた。冬鳥は、ハクチョウだけではない、というのが趣旨だった。すると――。

山里どころか、いわきの平地のわが家に22日午後、ジョウビタキが現れた。スズメがムクゲの木に止まったなと思ったら、変な動きをしている。葉っぱにまぎれながら尾をプルプルやっているではないか。よく見たらジョウビタキの雌だった。いわきの山野は冬鳥のステージに変わったことを実感した。

ということは、ハクチョウが現れるのは時間の問題、いや秒読みに入ったはず――と、わが脳みそが反応する。

きのう(10月23日)、平のマチなかで用事をすませたあと、夏井川の堤防の道を利用して帰宅した。急にそうしたのは、胸が騒いだからだ。案の定、20羽ほどのハクチョウが平・塩地内、というより対岸の平・山崎地内の岸辺で羽を休めていた=写真。それが正午前。

同じ日の午後2時過ぎ、知人2人を夏井川渓谷の無量庵へ案内した。途中、三島(小川町)で夏井川のそばを通る。そこにもハクチョウが15羽ほど羽を休めていた。

すると、塩(山崎)と三島の中間、平・中平窪にはもっと飛来しているに違いない。いわき市の夏井川では、中平窪はハクチョウの第一越冬地、塩は第二、三島は第三越冬地だ。

あとで、夏井川白鳥を守る会のHPをのぞいたら、21日に大挙77羽が飛来し、22日にはほぼ倍の数になった。塩にも、三島にもほぼ同時に現れたのは、飛来初期にしては大群だったためだろう。

塩では、さっそくMさんがえさのパンくずと米をまいた。見たわけではないが、岸辺にそれが残っていたので分かる。

Mさんは一年を通して、残留コハクチョウウの「左助」「左吉」「左七」の世話をしていた。彼らは去年の夏から飛来シーズン前後に姿を消した(たぶん、けものにやられたのだ)。

で、今年はハクチョウが北へ帰ったあと、朝の散歩時にMさんと会うことはなかった。猛暑の7月末以降、朝の散歩をサボっているからなおさらだ。ハクチョウが来た以上は早朝散歩を再開しなくては――といちおうは考えるのだが、どうなることやら。

2010年10月23日土曜日

キノコのぬめり・2


家に帰って来たら、夕食まで少し時間がある。きのう(10月22日)紹介したナラタケの様子が気になって、近くの里山へ車を走らせた。

立ち枯れの木の根元にナラタケが群生しているのを見つけたのは、おととい。傘はまだクリーム色、傘裏のひだは純白だった。まれにみる美菌である。それが、たった一日過ぎただけで茶色に変わっていた。大きさは変わらなかった。きれいな姿でいられる時間はほんの一瞬、ということか。

ついでだから、前日とは違う道を歩いてみる。これといったキノコは見られなかった。車で移動し、別の道をチェックする。1カ所目は空ぶり。2カ所目で傘に著しいぬめりのあるキノコを見つけた=写真。道端の草むらにまぎれて生えていた。ぬめりのある毒キノコはあっただろうか……。食菌かもしれない。30本ほど収穫した。

わが家に戻って図鑑にあたると、アブラシメジでも、ヌメリササタケでもない。ネットで調べたら、コケイロヌメリガサらしいことが分かった。食菌は食菌だが、少し癖が強いようだ。あえもの、油料理に向くという。

なにはともあれ、ゆでてからどうするかを考える。ゆでてもぬめりは消えない。柄はかえってぬめりが強くなった。コケイロヌメリガサであることを確信した。

1本を細かく刻んで酢醤油で味見した。かすかに苦みがあるが、気になるほどではない。傘はしゃきしゃき、柄は少しぼそっとした感じ。ぬめりを楽しむだけでよしとすべきなのかもしれない。きょうはみそ汁と大根おろしを試してみるか。

2010年10月22日金曜日

キノコは美しい


生まれたばかりの人間の赤ん坊は、はっきりいってかわいいとは思わない。しわくちゃで、赤ら顔。だから赤ん坊だが、それが半年もたって人間らしい顔になると、なんてつるんつるんしているんだろう、なんてかわいいんだろう――となる。

つるんつるんとした、そのほっぺたを指でつついてみる。弾力がある。腕や足をさわる。やはり弾力があってみずみずしい。キノコに関しても、そんな感情を抱きたくなるときがある。

立ち枯れの木の根元にナラタケが群生していた=写真。発生したばかりだ。こちらは人間、いや動物とは違うから、最初からつるんつるんとしている。雨にもぬれず、風にも吹かれず、多少はその洗礼を受けたかもしれないが、見た目は無垢のまま。二十数年ぶり、どころか三十年ぶりくらいに遭遇した、美しい姿だ。

「美少女」だの、「美人」だのと、ついオーバーにたとえて書きたくなる癖がある。が、ここまできれいだと、そんな形容語はいらない。キノコは美しい。ただ、それだけ。

ナラタケの、きれいなかたまりの三分の二をこそげとった。残りは何日かたつと大きくなるだろう。ころあいをみて、また摘みに行く。他人に採られてなくなっていてもかまわない。キノコ採りはおたがいさま。自分のシロは他人のシロでもあるのだから、〈遅かったか〉で終わるだけだ。

帰宅してすぐ、下ごしらえをした。柄に触れながら、つばの下の硬い部分を折り取った。硬い柄を取るのは、消化不良による下痢対策だ。ゆでて、水に冷やして、大根おろしにしたらうまかった。