2010年10月25日月曜日

まんまる鍾馗さま


10月第三週にはいってからこのかた、日替わり・半日替わり、ときには2、3時間替わりで違う用事をこなさなければならない事態が続いている。ビジネスではない。区(自治会)なり所属する団体なりの行事や打ち合わせ、プライベートの約束が集中したのだ。予定がこんなにたてこむなんてことは現役時代にもなかった。

きのう(10月24日)は、朝6時に起きて家の周りの清掃をした。「秋のいわきのまちをきれいにする市民総ぐるみ運動」(3日間)のしめくくりだ。そのあと、区(自治会)の役員が参加して、区内にある県営住宅集会所の周辺の草刈りをした。

9時すぎには新田目病院(平)のバザーへ出かけた。家の周りの清掃と、8時からの集会所の清掃のあいまに、バザーの手伝いをするカミサンを病院へ送り届け、集会所の清掃が終わったら、今度は夏井川渓谷の無量庵へ行って、そっちの刈り草片づけをするために、カミサンを連れていかなければならない。

無量庵へ着いたのは11時前。刈り草片づけの前に、森へ入って「目星」をつけていたキノコのチェックをした(なんで「目星」なのか、その結果はどうだったのか、はいずれ報告したい)。それからしばらく刈り草をネコに積んで堆肥枠に押しこむ作業を続けた。たっぷり汗をかいて、へとへとになった2時前、「もう行こう」となった。

どこへ? 好間・榊小屋にあるギャラリー「木もれび」へ。「いわき絵幟 石川幸男(二世)個展」が27日まで開かれている。前置きが長くなったが、きょうはこの個展をぜひとも紹介したかったのだ。私以上にカミサンが興味を示している個展だったので、喜んでアッシー君をつとめた。

いわき絵幟は、端午の節句に男の子が強くたくましく育つことを願って、子どもの母親の実家から贈られた縁起物だ。今に続く風習だが、住宅・核家族・近隣関係その他から、絵幟を立てられるような家は郊外の農家に限られるようになった。

「絵師」の二世石川幸男は本名・石川貞治。アカデミックな勉強もしてきた「絵描き」だ。絵幟職人としての腕と画家としての技術が、新しい伝統を生みだした――そんな印象を持った。昔からの大きな絵幟はもちろんつくる。しかし需要はすでに、庭に高々と掲げる幟から室内に飾る幟へと変わってきた。

そこに絵描きの独創性が発揮された。「いわき絵幟雛形板絵」。布だけでなく板に絵幟の図柄を定着させる。伝統を未来へと引き継ぐ形のひとつが、そこにあった。50年後には板絵が当たり前になっているかもしれない。それだけの必然性、時代の流れ、のようなものを感じた。

それに加えて、二世には遊び心がある。「金太郎と鯉」は絵幟の代表的な図柄のひとつだが、「鯉」をアクアマリンふくしまが調査・研究に力を入れている「志意羅感須(シーラカンス)」に置き換えた、旧作の絵幟も展示した。まんまる顔の鍾馗とバイキンマンの弟みたいな鬼の板絵もある=写真。同じ「鍾馗」と「逃げ鬼」の連作墨絵額には、北斎漫画に通じるようなおもしろさを感じた。

絵幟としての節度を守りながらも、ふだんの暮らしのなかに絵幟を生かす作品づくりをしようという意欲を買いたい。なによりも、絵師としての緻密なウデがそれを支えている。

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