2012年10月22日月曜日

神谷公民館まつり


前年度(2011年度)は、東日本大震災と原発事故の影響で開催時期が10月から年度末に近い2月に延期された。わが地元の神谷(かべや)公民館まつりのことだ。今年度はいつものように10月の20、21日に開催された。特別企画として「地域再発見 かべや百景」展=写真=が開かれた。

2月のときには駐車場誘導係をした。その記憶がよどんでいたのかもしれない。受付によその区の区長さんが2人いた。あれっ?と思った。<おれは区長ではないけど、役割を忘れているのか>。そうではなかった。2月は、喪に服している区長さんの代役だった。そのことを思い出した。

公民館まつりだから、公民館を利用しているサークルの人たち、あるいは市民講座の受講生の作品展示、芸能発表が主だ。併せて模擬店やバザーが開かれる。

「かべや百景」に興味があった。9月にわが区の区長さんから話があった。毎日、首からカメラをぶらさげて散歩しているのだから、出品したら――。その経緯は10月6日付「ヒガンバナ、やっと満開」に書いたが、なぜかブログからそれが欠落している。パソコンの操作を間違ったのだろうか(間違った意識はない)。

規格(2L判)の用紙がなかったので若い仲間に連絡し、データを送ってプリントアウトしてもらった3点を出品した。春雪の中を飛ぶハクチョウ、春の野焼き、墓地の桜。散歩の途中でパチリとやったものばかりだから、「芸術写真」とは縁遠い。自分のブログ用の「報道写真」だ。

展示写真は私のものも含めてざっと百景の5分の1か。それでもいいではないか。小学校の学区とイコールの世界だ、狭い地域で一気に百景なんて無理がある。5年がかりでやればいい。

足元を掘る、掘りつづける、すると地域を越えて広がる地下水脈に触れる。それこそ「地域再発見」の本質ではないだろうか。実際、よその区の“隠れた名木”を初めて知った。

2012年10月21日日曜日

清掃デー


秋のいわきのまちをきれいにする市民総ぐるみ運動初日の10月19日、小学生が家の前の歩道を、ごみを拾いながら通り過ぎた=写真

一斉清掃は3日間にわたって繰り広げられる。初日は「清潔な環境づくりの日」(学校・社会福祉施設・事業所・商店・飲食店街周辺の清掃)、二日目「自然を美しくする日/みんなの利用する施設をきれいにする日」(海岸・河川の清掃、樹木の手入れ、公園・観光地・道路・公共施設の清掃)、そして最終日が「清掃デー」(家庭周辺の清掃)だ。

初日に二日目の清掃をしたり、家庭で早々と清掃を済ませたりと、そのへんはゆるやかだ。地域の環境美化が保たれればいいのだから。小学生が歩道(通学路)でごみ拾いをしたのも、総ぐるみ運動二日目が土曜日で学校が休みになるからだろう。区の保健委員としてはありがたいことだ。

きょうの清掃デーは、わが区内では午前6時半に一斉に清掃が開始される。1時間もあれば作業は終了するだろう。ざっと様子を見て回ったあとは決められた集積所に燃えるごみ、燃えないごみが何袋出たかチェックし、市に実績報告書(はがき)を出す。

金耀、土曜と二晩続けて学校の同窓生が集まり、泊まり込み(初日・いわき市遠野町、二日目・わが家の近くの家)で飲み会が開かれた。次の日、何も用事がなければ痛飲する、結果的に二日酔いになるところだが、土曜朝には車を運転しないといけない、日曜朝には一斉清掃がある、ときては、おのずとブレーキがかかる。

おかげでアルコールにどっぷりつからなくとも旧交を温めることはできた。記憶もしっかりしている。それぞれの人生のあゆみがみえた。

清掃デーの見回りが終わるころ、帰路に就く同級生がいる。見送ることができるかどうかはわからない。が、そのへんは了解済みだ。まずはきょうの務めを果たすこととしよう。

2012年10月20日土曜日

ホバリングする蛾


一見、スズメバチに似る。が、蛾の一種だ。ホバリングをしながら、長い口吻(こうふん)をアザミの花に差し込み、吸密する=写真。ホウジャクという。昼間に飛び回っているのでよく目立つ。

夏井川渓谷の無量庵へ出かけ、庭の一角にある菜園の草引きをした。一休みしていると、花から花へせわしく飛び回るハチがいた。よく見たら、ホウジャクだった。急いで車からカメラを取り出し、ファインダーものぞかずに何枚か撮った。偶然、1枚だけピントが合っていた。

ホウジャクはスズメガ科の蛾だ。漢字で「蜂雀」、音読みで「ホウジャク」。中南米のハチドリ(蜂鳥)のように高速ではばたき、ホバリングをしながら吸密する。

同じ仲間に翅の透明なオオスカシバがいる。こちらも昼行性で、ずいぶん前の夏、やはり無量庵の菜園で見たことがある。初めて見たそのときの、蛾とは思えない印象が今も鮮やかだ。

被写体としてはもってこいの虫だろう。ホバリングをする。長い口吻を持つ。体の模様が面白い。それだけのことで、ついカメラを向けてしまう。

無量庵の周辺には絵になる、ちっちゃな自然がいっぱいある。性能だけは優れたデジカメだが、使いこなす腕がない。接写や望遠、焦点深度、シャッター速度などを自在に調整できれば、豊かな写真世界に分け入ることができるのだろうが……。ま、これくらいでよしとするしかない。

2012年10月19日金曜日

酔いどれレリーフ


アンコールトムだったと思う。壁面に展開する精緻なレリーフを、若いカンボジア人の観光ガイドが日本語で説明するのを聴きながら見て回った。庶民の生活を描いたもののなかに、酔っ払いの図があった。一人がラッパ飲みをし、一人が嘔吐している=写真

これはいい。思わずカメラを向けた。アンコールトムは11世紀後半につくられたと、物の本にある。人間と酒の関係は900年前も、いやその前、人類が現れたときから全く変わっていない、と思う。

なにかの神事に飲み、うれしいことがあれば飲み、いやなことがあれば飲み、悲しければさらに飲み、それ以外のときにもやはり飲む。要するに、人類は飲まないではいられない存在なのだ――というのは、呑兵衛の言い訳だが。

酒を飲んでいっとき、いい気分になったつもりになる。いい気分になり過ぎると吐いたり、二日酔いになったりする。「快楽のあとの頭痛の朝」は誰もが経験する“現実”だ。そのたびに、サルでもできる反省をしてきた。年に数回、それを半世紀近く……。レリーフはきっとそんな人間の弱さを戒めているのだろう。

世界遺産を見てきてからほぼ1カ月しかたたないのに、何度かレリーフと同じような状態になった。ラッパ飲みも、嘔吐もしないのに、人と飲むと翌日まで酔いが残る。『酔いどれレリーフ』を思い浮かべながらも、しかし、いややはり晩酌なしでは一日を締めくくれない。

2012年10月18日木曜日

炊飯器が壊れた


わが家の炊飯器が壊れた=写真。内蓋が外蓋からパカッとはがれた。国内メーカーの製品だが、2002年にマレーシアでつくられたものだとカミサンがいう。ご飯をどうする?となったが、どこからか新しい炊飯器が出てきた。別の国内メーカーの製品だ。

日々、なにごともなく過ぎていくかぎりでは、家電は家電でしかない。電気ごたつは中を温める。電灯は部屋を明るくする。炊飯器はご飯を炊く。3・11を経験する前まではそうだった。「でしかないもの」が3・11後、「大事なもの」「必要なもの」になった。

3・11で断水した。電気はかろうじて通じていた。津波に襲われたハマ(沿岸部)に比べたら、少し内陸に入ったマチ(平野部)は、それこそハマの人には申し訳ないが、地震の被害だけで済んだ。が、そのあとに原発事故のパニックがきた。モノがさっぱり手に入らなくなった

カミサンが近くのコンビニへ出かけた。食料品や飲料水は品切れ。氷袋が残っていたので、それを買ってきて解凍し、水にした。

とにかく洗い物を少なくする。茶碗にラップをしてご飯を盛る。おかずも同じ、ラップをした上に盛る。ラップのおかげで茶碗も、皿も洗う必要はない。苦肉の策がクチコミで一気に広まった。

そのころを支えてくれた炊飯器だ。ただの家電ではない。戦友とはいわないまでも、よく機能してくれたな、とは思う。

2012年10月17日水曜日

鳴き砂フェスティバル


「鳴き砂フェスティバルin豊間」というイベントが11月4日に予定されている。いわき地域学會に実行委員会への参加要請があった。呼びかけ人はいわき地域環境科学会の橋本孝一会長、いわき鳴き砂を守る会の佐藤孝平会長だ。

昨年2月下旬に開かれた「いわき鳴き砂展」を後援している。その延長で話がきた。断る理由がないので実行委員に加わった。先日、豊間公民館で初の実行委員会が開かれた。そのときの話から――。

3・11に遭遇したいわきの海岸の鳴き砂は、巨大津波に耐えてよみがえった。その象徴が豊間海岸だろう=写真。鳴き砂は地元の誇り、でもある。鳴き砂を守る会が地元の豊間区に相談し、フェスティバルの話が具体化した。

海岸の「鳴き砂」の定点観測実証検査をし、併せて放射線検査をする。放射線量は波打ち際で毎時0.05~0.06マイクロシーベルトと、自然線量と同じレベルに戻っている。海水も問題ない。参加者に線量計で数値を確認してもらうことを考えているという。

地元から、津波で“更地”になった住宅跡での転落事故を防ぐように、という注意喚起があった。

“更地”には井戸や浄化槽、ふたのない側溝がある。それが草に隠れている。豊間海岸とやや内陸の豊間公民館が会場になる。その間を行き来する際、道路ではなく“更地”を突っ切る人がいないとは限らない。事故防止のためにちゃんと道路を歩くよう呼びかけないと、ということだった。

「よそ者」には見えない“落とし穴“だ。イベントでは「安全」(リスク管理)がもう一つの目的になることを、あらためて知る。

2012年10月16日火曜日

前国王の死


同級生たちとカンボジアのアンコール遺跡群を訪ねたのは9月中旬。雨季のなかでも降雨がピークになる時期だった。アンコールワットに近いシェムリアップの「ソカ アンコール リゾート」というホテルに二泊した。ロビーの一角にシハヌーク前国王夫妻の大きな肖像が掲げられていた=写真

フランスが統治した影響で、昔はフランス語風に「シアヌーク」と表記された。今はウィキメディアなど「シハヌーク」と表記する例が多い。メディアはこれまでの慣例で「シアヌーク」で通している。きのう(10月15日)朝、シハヌーク前国王の死去を報じるNHKがそうだった。ネットで検索すると、共同通信、時事通信も「シアヌーク」だった。

ホテルのロビーで肖像を見たとき、不思議な感覚に襲われた。ベトナム戦争、戦火の拡大、クーデター、内戦、和平……。10代のころから「シアヌーク殿下」はたびたびメディアに登場する、アジアのキーパーソンの一人だった。

そのメディアから姿を消してしばらくたつ。で、日本人からみれば歴史上の人物と化していた。カンボジアではそうではなくて、ずっと君臨、いや崇拝されていたのだ。

首相をやめては復活し、またやめる、また復活する。追放され、幽閉される。そのたびによみがえる。カンボジアは和平後、立憲君主制を採択し、「シアヌーク殿下」が国王に復位した。死亡記事には、中国・北京の病院で死去した、89歳、「独立の父」と敬愛された、小国カンボジアの現代史を体現するような人生だった、とある。

猫ひろしがカンボジア国籍を取得してマラソンの代表選手になったものの、結果的に五輪出場はならなかった――その程度の情報しか持っていなかったなかで、前国王夫妻の肖像はまさに「小国カンボジアの現代史」をよみがえらせた。それからおよそ1カ月後の訃報だった。