2018年9月8日土曜日

ビワの木に咲く朝顔

 アスファルトのすきまから芽を出す植物が、ときどき「ど根性〇×」と呼ばれてメディアに取り上げられる。わが家の「ど根性〇×」は朝顔だ。家の前の歩道のすき間から芽を出してはつるを伸ばし、花を咲かせる。
いわき語でいえば、「ふっつぇ」。「どこからともなく種が飛んできて、知らぬ間に自然に生えること」(いわき市教委編『いわきの方言調査報告書』2003年)をいう。

 加賀千代女(1703~75年)が詠んだ「朝顔につるべ取られてもらひ水」も、“ふっつぇ朝顔”だろう。

昔(といっても半世紀前の中山間地の話だが)、手押しポンプが普及するなかで、家によっては井戸から水をくんだ。直接、つるべ(桶)を井戸に落としてくみ上げるか、柱を立てて滑車をつるし、それを利用してつるべを上げ下げした。千代女の句は、そのつるべに朝顔のつるが巻いていたから、つるを切るのがかわいそうになって近所へ水をもらいに行った、というものだ。

 一日でつるべを巻くほどつるが伸びるとは思えない。ふっつぇ朝顔はせいぜい数センチ。千代女、あるいはその家の主人は何日か家を留守にしたのではないか――夏休みに朝顔を観察した子どもでなくても、そんな疑問がわく。

ま、それはさておき、今年(2018年)のわが家のど根性朝顔は、歩道ではなく、自宅西側軒下のビワの木のそばで芽を出した。今、ビワの木でビワの花のように朝顔が咲き誇っている=写真。

ビワもまた植えた覚えはない。だれかにもらったビワの実を食べ、種を庭にポイとやったら芽が出て育った。しかし、先々のことを考えて、幼木のうちに始末した。西側軒下のビワはいい窓隠しにもなるので、そのままにしておいたら実をつけるようになった。ときどきは剪定する。ちょうど剪定の具合がよかったのか、朝顔はつるを枝に巻きつけて、子づるも出して花をいっぱい咲かせた。

「朝顔につるべとられてもらひ水」にならって、朝顔がビワの木を借りて花を咲かせた、ということを五七五で表現したいのだが……。芸能人が出演する才能査定番組「プレバト」の最下位レベルなので、よした。

2018年9月7日金曜日

テレビをつけっぱなしに

 きのう(9月6日)は朝3時半に起きた。パソコンを起動すると、北海道胆振(いぶり)地方で地震、という情報が目に留まった。「北海道胆振東部地震」、あとで気象庁が命名した巨大地震だ。苫小牧の東、厚真(あつま)町で震度7を記録した。発電所が緊急停止し、北海道の全域295万戸で停電した。
 一日中、テレビをつけっぱなしにして座業を続けた。厚真町の山崩れの映像=写真=には息をのんだ。同町吉野地区。山裾に沿って線状に伸びる集落が土砂にのまれた。地理院地図で確かめると、裏山は家からの高さが70メートルほど(標高は100メートル前後)だ。ほかの山々も例外なく緑の斜面が崩れて赤くなっている。

 停電、断水、液状化。それに伴う飲料水やトイレ、ガソリン、電話の問題。テレビが伝えるニュースに、7年半前の東北地方太平洋沖地震と原発事故に伴う災禍を思い出した。大津波で犠牲者が相次いだ3・11のちょうど1カ月後、いわきは直下型余震に襲われる。山が崩れ、4人が犠牲になった。いずれも震度6弱だった。

発電所が緊急停止をした影響で運転休止中の泊原発が外部電源を失い、非常用電源が起動した。泊は震度2。なのに、簡単に非常事態になってしまうとは! 原発震災で一時避難を経験した者としては、北海道のライフラインの脆弱さが気になった。怒りさえこみあげてきた。

無事を喜び、ハグしあう人がテレビに映った。あのときもそうだった、会う人ごとに生きていたことを喜んで抱き合ったものだ。

夜、原発震災後、いわきから札幌へ移住した知人にケータイで連絡を取る。すぐつながった。

札幌は震度5強。7階建てマンションの3階に住んでいる。いわきでの体験を思い出して、すぐ風呂に水をためたという。揺れはすごかった。「あなたの家なら……」といって言葉を濁したが、「つぶれたかもしれない」と言いたかったのだろう。さいわい電気は午後4時前に復活した。最初に通電した30万戸のうちに入っていた。

近くに札幌ドームがある。きょう予定されていた日本―チリのサッカー国際親善試合が中止になって、がっかりしたことだろう。
 
 7年半前、わが家では食器棚から皿などが、本棚から本がなだれ落ちた。2階は1階よりひどかった。本棚から落下した本と倒れた本棚で足の踏み場もなかった。「家の中がグチャグチャになった」と語る北海道の被災者に同情した。

今朝のテレビによると、死者は7人、ほかに心肺停止2人、安否不明30人で、けが人は約300人に上る。西では台風被害、北では大地震。災害列島に暮らしている自覚をまた新たにする。

2018年9月6日木曜日

やっとキノコが庭に

 長い猛暑のあとに曇雨天が続き、台風21号が北上してやっと大地も湿ってきた。
きのう(9月5日)、夏井川渓谷の隠居へ行ったら、2日前にはなかったドクベニタケ(ニオイコベニタケかもしれない)が庭に出ていた=写真上。

台風21号と前線の影響が気になって出かけたのだが、風で木の枝が折れることもなく、白菜の双葉に落ち葉がかぶさっていることもなかった。が、またまた三春ネギが10本ほど倒伏していた。この在来ネギは風に弱い。急きょ、土を寄せて立て直した。

 この悪天候、ネギと違ってキノコにはよかったのだろう。庭のドクベニタケのほかに、落ち葉の積もった樹下にはイヌセンボンタケが発生していた=写真下。名前のよくわからないキノコも散らばって生えていた。アラゲキクラゲとヒラタケの菌糸が同居する枯れ木がある。それにはキノコはなかった。
 キノコに精通している画家・小林路子さんの絵本『森のきのこ』(岩崎書店、1991年)に、キノコの解説が載る。これがとてもわかりやすい。地上に現れた柄と笠、すなわち「子実体(しじったい)」は植物でいえば「花」、地中の「菌糸」は「葉・茎・根」に当たるそうだ。

 その生活環は、子実体から胞子が飛び立つ(胞子にはオスとメスがある)→地中で芽を出し、菌糸をつくり、枝分かれしながら広がる(一次菌糸)→やがてオスの菌糸とメスの菌糸が合体し、一人前の菌糸になる(二次菌糸)→二次菌糸が次第に寄り集まり、互いにつながって大きくなる→温度や湿度の条件が整うと、キノコのつぼみのもとになる小さなかたまりができ、これが育って子実体になる、というものだ。

 今年(2018年)は梅雨キノコも、夏キノコも見なかった。地中や枯れ木の菌糸にとっては、高温・乾燥の厳しい環境だった。やっと子実体ができる温度と湿度になって、子孫を残すことが可能になった、といったところか。

およそ1カ月前、いわきキノコ同好会から今年の観察会(3回)の案内が届いた。第1回は今度の土曜日(9月8日)に開かれる。ドクターストップがかかってからは、山の斜面を上り下りする観察会には一度も参加していない。が、小川町の雑木林で県内初トリュフ の「ホンセイヨウショウロ」が発見された。おそらくその検証を兼ねた観察会だ。これには参加しようと思っている。

2018年9月5日水曜日

白菜は芽を出したが

 ツイッターに投稿された台風21号の動画には驚きの連続だった。橋上のトラックが、乗用車が風にあおられて横転する。ビルの屋上にある球状の給水タンクらしいものが、鉄製の脚がばらけると同時に飛んでいく。京都駅の天井が落下する。建物の屋根が吹き飛ぶ。観覧車が勝手に回り出す――。想像を絶する“凶風”だ。
 いわきは、台風の目から南東側にふくらんだ暴風雨圏内にあって、きのう(8月4日)午後3時ごろから風が吹きだした。真夜中が暴風雨のピークということだったが、未明の4時前に起きると、まだ雨がたたきつけている。それから30分後、雨が弱まり、アオマツムシが鳴きだしたが、まだまだ落ち着かない。雷まで鳴り出した。ピンポイントの天気予報では、太陽が顔を出すのは午前9時台だ。

 台所南側軒下に白菜の育苗トレーを置いてある。芽生えたばかりの双葉はたたきつける暴風雨に耐えられるか。双葉のつもりになって大荒れの夜空を想像すると、こちらが耐えられない。風の音が大きくなりだした夜9時、育苗トレーを玄関のなかに引っ込めた。

 8月26日朝、夏井川渓谷の隠居にある畑でうねをつくり、株間50センチで29カ所に白菜(耐病黄芯耐寒性大玉80日)の種をまいた。少し種が余ったので、3日後、隠居へ出かけた際、育苗トレー(16穴)に土を詰め、種をまいて持ち帰った。わが家で観察しながら、苗を育てることにした。

 あとからトレーにまいた種はすべて発芽した=写真。しかし、隠居の畑の種はどうしたのだろう。3粒ずつの点まきにしたのだが、9月3日現在、発芽したのは18カ所のみ。発芽までの日数3~5日、発芽率90%以上とうたってあるのに――。

考えられる理由はただひとつ。種まき直前に菜種の油粕をまいて土にすき込んだ。それから発生したガスで発芽障害がおきたのだろう。種屋さんから注意されていたのに、よくすきこめばいいと軽く考えていたのがいけなかった。

 種は80粒以上あった。余った種は若芽が虫に食われたときの補植用、あるいは春の菜の花用――という思惑は簡単にしぼんだ。全部補植に回す。

台風21号の影響が気になる。キュウリ摘みのサイクルでいえば、あしたが隠居へ行く日だが、一日繰り上げて様子を見てこよう。暴風に吹き飛ばされた葉っぱで双葉が覆われていたら、それを取り除かないと――なんて考えていたところへ、外から地響きが迫ってきた。「来たな」。身構えていると、わが家を揺らして地震波が通り過ぎた。時計を見ると5時11分。3か――そのとおりだった。

2018年9月4日火曜日

夜明けのサギのねぐら

 日曜日(9月2日)は、地区市民体育祭があって夏井川渓谷の隠居へは行けなかった。翌3日のきのうが一日遅れの“マイ日曜日”になった。未明、ライトをつけて隠居へ車を走らせた。
 曇天だが、だんだん東の空が明るくなる。山の稜線もはっきりしてきた5時ごろ、小川町上平(うわだいら)地内の夏井川でシラサギのねぐらに出合った=写真上。川岸の竹林に14羽いた。集団ねぐらとしては小さい。くちばしが黄色いからダイサギだろう。これも私のなかでは「三文の徳」に入る。

 隠居へはキュウリを摘みに行った。4月末に種屋からポット苗2本を買って植えた。7月下旬、台風12号の影響による風でビニールひもでつくった棚が切れ、葉が裏返しになった。それを修復したあとは順調に育った。

 実が生(な)り始めてからは、日曜日のほかに週半ばの水、ないし木曜日にも出かける。でないと、キュウリが肥大してヘチマのようになる。先週は日曜日のあと、水曜日(8月29日)に中くらいのを6本摘んだ。きのうは日曜日より一日遅れだったこともあって、大3本、普通5本の8本がぶら下がっていた=写真下。
9月に入るとさすがに苗も疲れてきたようだ。葉の傷みが早くなったが、あと2回くらいはまともな形のキュウリが採れそうだ。値段が高いだけのことはある。

 シラサギの話に戻る。朝晩、夏井川の堤防を散歩していたときには、どこにねぐらがあるかはすぐわかった。10年前の2008年には、国道6号バイパス(現国道6号)の夏井川橋上流の右岸竹林がそうだった。

 ねぐら入りの様子はこうだ。数羽、あるいは十数羽が現れたかと思うと、急にキリモミ状態になりながら舞い降りる。8月になって数が増え始め、中旬には200羽を超えた。

 きのうは夕方、街で会議があるカミサンのアッシー君をしたあと、夏井川の堤防経由で帰った。早朝、小川でサギのねぐらに出合ったことから、わが生活圏内にあるはずのねぐらを思い出し、それを確かめることにしたのだった。

今は夏井川橋下流直下右岸の竹と広葉樹の混交林がねぐらになっていた。夕方5時半現在で数は20羽ほど。暗くなるまで待ったら、もっと増えたかもしれない。サギたちも絶えず安心できる居場所を探し求めているのだろう。

2018年9月3日月曜日

朝6時、花火が揚がる

 きのう(9月2日)、神谷(かべや)地区市民体育祭が平六小校庭で開かれた。曇雨天の日が続いている。毎日のように雨が降って雷が鳴る。2日の日曜日も朝は曇雨天だった。6時、雨がぱらつくなかで花火が揚がる。少し遅れて隣の草野地区からも花火の音が届いた。どちらも体育祭開催の合図だ。
 時折、雨に見舞われても曇りの時間が多いはず――前日には“曇雨天開催”が決まった。当日は校庭に大会本部と各行政区のテントが並ぶ。そのための準備も行われた。テントは当日朝張ることにして、支柱を立てずにパイプをつなぐだけにとどめた。

わが行政区だけ、テントも張った。夜、雨が降るかもしれない。心配なのは風だが、あおられて骨組みがバラバラになるようなことはないだろう、と判断した。宵に雨が降る。風はない。翌日、本部などのテントが張られた=写真上=あとにも雨が降った。テントがぬれるという点では、前日張っても当日張っても同じだ。前日に作業を終えていた分、余裕を持ってよそのテント張りを手伝うことができた。

校庭は水はけがすこぶるよい。水たまりはどこにもない。地中には、2011年3月の原発震災の影響で出た校庭の除去土壌が埋まっている。市民体育祭が終われば、掘り起こし・搬出工事が始まる。先日回覧の「学校だより」で知った。

隣の草野地区では、草野小体育館を会場にして体育祭を実施したという。こちらは夏休み中、校庭に囲いを設けて地中に埋めてある除去土壌の搬出が行われた。体育祭の前には工事が完了した。体育館が大きいこともあって、雨が降っても大丈夫なように屋内開催に踏み切ったのだろう。

さて、体育祭の結果は――。個人・団体合わせて18のプログラムが用意された。団体は8行政区の地区対抗戦だ。こちらは予選を含めて6プログラムが行われた。種目は安全運転(一輪車にフットベースボールを数個乗せて運ぶ)・綱引き・玉入れ・リレーの四つ。

 わが区は、安全運転は3位、綱引きは初戦が不戦勝、次が最強チームを相手に完敗、玉入れは絶不調で7位、リレーは予選も決勝もダントツで1位になった=写真左上。去年は準優勝、せめてその線を狙ったが、準優勝チームと同点、玉入れの数の差で3位に終わった。

2018年9月2日日曜日

「難民になったねこ」

 人間だけではない、猫もまた災害時には被災者になり、避難者になる。わが家猫の例でも2回あった。最初は私が小学2年生になったばかりの昭和31(1956)年4月、2回目は平成23(2011)年3月だ。
 62年前、阿武隈の山里、常葉町(現田村市常葉町)が吹き荒れる西風にあおられて大火事になった。家族はバラバラに避難した。家畜、ペットも一緒に避難を――という余裕はなかった。ヤギ、牛、羊、犬、猫……。焼け死んだ動物は人間(1人)より多かったのではないか。

家が焼け落ちたあと、歩いて5分ほどの親戚の家に身を寄せた。飼い猫の「ミケ」は焼け死んだかもしれない――大火事から1週間、あきらめていたところへ、しかもその親戚の家(石屋)の作業場のすみで、腹ペコでいるところを発見された。生きていただけでもすごいのに、飼い主一家を追って、そこへたどり着いた。これを奇跡といわずしてなんといおう。

 7年前の東日本大震災とそれに伴う原発事故では、9日間ほど避難した。飼い猫3匹はしかたなく家に置いた。古株の茶トラは老衰が始まっていた。後ろ足を引きずって歩く。排便もきちんとできなくなっていた。衰弱して息絶え、ミイラ化しているのではないか。心配しながら帰宅すると、ミイラどころか、4本の足でちゃんと歩いていた。飼い主が留守の間に野性を取り戻したのだ。これも奇跡といっていいだろう。

 なぜこの二つを思い出したかというと、図書館の新着絵本、『難民になったねこ クンクーシュ』(かもがわ出版)を借りて読んだからだ。奇跡のなかの奇跡、といってもいい実話だ。

内戦下のイラクから、一家が飼い猫のクンクーシュとともに避難し、ヨーロッパを目指す。途中、ギリシャ・レスボス島で飼い猫とはぐれる。難民支援のボランティアとして島へ来ていた女性が「難民のねこ」に気づき、飼い主一家と再会させるために動き出す。やがてインターネットとSNSのフェイスブックを介して、一家がノルウェーにいることがわかり、何人もの手を経て、一家と猫が再会する――。

「およそ4か月のあいだ、5000キロも旅し、やさしい人びとに出会いました。そしてついに、飼い主のもとに帰ったのです」「この話は、難民家族とねこの奇跡的な再会のニュースとして、世界中に伝えられました」

自然災害、戦争、原発事故……。人間に限らず、動物、とりわけペットたちも、突然、生と死の境目に立たされる。クンクーシュの5000キロの旅は、そのなかでもまれな救いの物語だ。再会からおよそ3カ月後、クンクーシュはウイルスによる病気で死ぬ。が、最後に「しあわせな日々」を取り戻した。