2008年12月6日土曜日

神谷の里を飛び交う白鳥


わが住まいの近くに「南鳥沼・北鳥沼」というところがある。地名を漢字から追いかけるのは愚の骨頂とはいえ、「鳥沼」は夏井川下流域の氾濫原に位置する。かつては水鳥のサンクチュアリ(聖域)だったのではないか。

近世には、あえて大水を人間の住む側に引き入れて水害を緩和する「霞堤」が設けられていた。志賀伝吉著『夏井川』によれば、笠間藩の神谷陣屋は「甲州流防河法」を採用し、塩村(いわき市平塩)と接する中神谷村(同市平中神谷)の十二所を無堤とした。それで大水が出ると神谷平野は遊水地と化した。同時に肥沃土が運ばれて来た。

江戸時代初期には、夏井川左岸の山際に「小川江筋」が開削される。その結果、新田開発が進んだ。「鳥沼」は、そのころにはもう水田になっていたことだろう。「霞堤」は近代になると、しゃにむに川の流れを封じ込める「連続堤」に変わる。ますます「鳥沼」と鳥のつながりは失われていった、に違いない。「鳥沼」は、今は宅地に変わった。

神谷の里は古来、水害常襲地帯だ。今も大雨になると道路が冠水する。頑丈な堤防ができたからといって安心はできない。河川改修をした結果が、逆に水害の危険性を高めている、とさえ私は思っている。

それはさておき、水鳥の代表ともいうべきコハクチョウが毎日、神谷の上空を飛び交っている。早朝散歩のときは、105ミリのレンズでも撮れるほどすぐ上空をよぎることがある=写真。朝ご飯を食べているとき、仕事をしているときも、空から「コー、コー」という鳴き声が降って来る。ハクチョウは午前中、こんなに飛び交うものなのか。

神谷の上流、平窪の夏井川の越冬地ではどうか。昼前、集団で近くの田んぼにいるのをよく見かけるから、やはり活発に飛び交っているのだろう。

それで思うのだが、「鳥沼」は人間の生産にはあまり役に立たない場所だった。おかげで、水鳥たちには格好の休み場となった。ガン・カモはおろか、鶴さえいたのではないか。そんなことを地名に引き寄せて空想するのである。

えづけの努力が実ってコハクチョウが飛来するようになったことは否定できない。にしても、自然(コハクチョウ)は自然(休み場)を求めてやって来る。コハクチョウたちが神谷の上空を飛び交うのは、水鳥に連綿と受け継がれてきた遺伝子(湿地探索能力)がかつての「鳥沼」という休み場を透視し、かぎ当てるからではないか――というのは、あまりにも飛躍しすぎる。分かっていて、なお夢想を楽しみたいのだ。

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