2008年12月31日水曜日

「魂の俳人」住宅顕信


ある集まりで粟津則雄さん(いわき市立草野心平記念文学館長)があいさつに立ち、小林一茶の発句を3つ紹介した。

死神に選(よ)り残されて秋の暮
死下手(しにべた)とそしらば誹(そし)れ夕炬燵(ゆうごたつ)
又ことし娑婆塞(しゃばふさぎ)ぞよ草の家

粟津さんの『日本人のことば』(集英社新書)によれば、一茶には終始一貫「娑婆塞」、つまり「はみ出し者」「余計者」意識が付きまとっていたらしい。だから、心の深いところに響くなにかがあるということだが、あいさつのポイントは別のところにあった。

1年が終わり、新しい1年が始まろうとしている。「『娑婆塞』にならぬよう、努力します」。年を重ねてなおそう言える慎み深さに感服したのだった。

さて、締めくくりの日に、今年知った「魂の俳人」住宅顕信(すみたくけんしん)のことを書いておきたい。昭和62(1987)年2月、25歳で、白血病で死んだ自由律の俳人である。秋口、NHKハイビジョンで特集「若さとはこんな淋しい春なのか――住宅顕信のメッセージ」が放送された。私は見なかったが、番組自体は承知していた。

翌日、知人に会ったら住宅顕信の話になった。知人は前から知っていて、句集も持っている。テレビも見たという。こちらは名前をかすかに覚えている程度だったから、完全に聞き手である。本も見せられた。自由律俳句に没頭し、尾崎方哉に心酔した。なにかヒリヒリした感じの「1行詩」が立っている――作品からはそんな印象を受けた。

すぐいわき総合図書館へ走ったが、住宅顕信の本はなかった。本屋にもなかった。注文した2冊、『ずぶぬれて犬ころ』(中央公論新社)と『住宅顕信 全俳句集全実像』(小学館)=写真=が、やがて手に入った。

若さとはこんな淋しい春なのか
ずぶぬれて犬ころ
夜が淋しくて誰かが笑いはじめる

住宅顕信の代表句だが、ほかにも

気の抜けたサイダーが僕の人生
重い雲しょって行く所がない
両手に星をつかみたい子のバンザイ
水滴のひとつひとつが笑っている顔だ

などの句に心が引かれた。まっすぐに、ひたむきに、自分と向き合っているからこそ立ち上がることばの木。ひとつひとつが根っこを生やした木だ――そんな印象を抱いた。最後に、もう一句。

枕元の薬とまた年をむかえる

そういう人生も、健康な人のそばにある。よいお年を!

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