2009年4月8日水曜日

「よんじゃくじになって」


カミサンの伯父の家がいわき市小川町にある。農業に精を出して、隠居をしてから伯父は年に何度か、甥の車でフラリとわが家へ現れた。姪(カミサン)に会いに来たついでに、そのダンナ(私)をつかまえて江戸時代の百姓一揆の話などをして帰る、というのが常だった。

伯父は亡くなったが、義理の伯母は93歳で健在だ。「顔を見せな」。そう言っていたという。アカヤシオの花が咲き出し、フサザクラ=写真=とミツバアケビの花が満開になり、足元にはネコノメソウの花が咲いている。夏井川渓谷の無量庵で日中を過ごし、春の花を目に焼きつけた帰り、伯母の顔を見に夫婦で立ち寄った。本人は近所へ茶飲み話に行って留守だった。

寒いのでずっと家にこもっていた。春になって暖かくなった。で、ようやく日曜日(4月5日)、近所の茶飲み友達のところへ出かける気になったのだという。家の人が車で送っていった。水稲の種まきを終え、一段落した時間帯。お茶を飲んで待っているうちに、伯母が杖をついて帰って来た。

耳は少し遠い。が、カミサンがそばでしゃべると、うなずいていろいろ反応する。「近所へ出かけられるんだからいいね」。カミサンが言うと、「なんも、よんじゃくじになって」と言う。「よんじゃくじ? よんじゃくじ?」と夫婦で繰り返すと、そばにいた嫁さんが苦笑しながら解説してくれた。「よろよろになって、という意味」

翌日、図書館へ行って方言辞典で調べた。小川町のドクターが書いた方言集にも、いわき市教育委員会が発行した『いわきの方言調査報告書』にも「よんじゃくじ」は載っていない。それに近い言葉が福島郷土文化研究会編『福島県の方言』にあった。県北・会津の「よじくじになる」(曲がりくねる)だ。

こちらの耳の感度にもよるが、「よんじゃくじになる」と「よじくじになる」の間にそう違いはあるまい。「よじくじになる」の用例として「小道はどうもよじくじになっている」とあった。道が曲がりくねっているのではなく、人間が曲がりくねってしまう、つまりよろよろ、よたよた、そういうことを言いたかったのだろう。

冬ごもりを終えて、今年初めて屋敷の外へ出た伯母――。その連想で死んだ伯父もなにか変な言葉を使っていたことを思いだした。しばらくわが家に現れなかったあと、「オレもよどんでたからな」とカミサンに言った。ずっと家の中にこもっていた、ということだろう。

「よんじゃくじ(よじくじ)になる」に「よどむ」。どちらもそうだが、方言には衝撃力がある。ものすごいエネルギーを感じる。辞典ではなく、土地の精霊が生み出した方言の情景が欲しい。故佐藤喜勢雄さんの「いわき語の情景」のような――。そんなことを思った。

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