2011年11月19日土曜日

灯油を買いにSSへ


この冬初めて、行きつけのガソリンスタンドへ出かけて灯油を買った。寒気がしのびよってきた。あのときも寒かったなあ――そんな連想がはたらいて、急に震災当時のことを思い出した。

3・11の大震災発生直後に原発が相次いで爆発事故を起こした。そこへ至るまでのテレビ速報に、今までにない胸騒ぎを覚えた。

デジカメのデータをチェックした。3月11日午後9時55分。「福島第一原発/半径3km~10km屋内で待機を」。次のデータは35分後。「近隣住民に避難指示」=写真。そんな文字がテレビに表示された。実際、近所の小学校の校庭は、13日朝には双葉郡から避難して来た住民の車で満パイになった。

ふだん、原発は意識の外にある。原発が暴走したらどうなるか、なんてことは考えたこともない。刻々と状況が悪化していく様子に、いわきにいられないのではないか――得体の知れない恐怖と不安に襲われ、心が震えた。

物資は入らない。ガソリンはない。情報はわが家の場合、テレビとラジオ頼み(電気がきているだけまだましだった)。避難するにしてもガソリンを補給しないことには始まらない、という状況だった。義弟が確保した携帯缶のガソリンを入れると、車の燃料計の針が半分に戻った。孫2人を連れて、身内3家族で3月15日にいわきを離れた。

9日後に避難所から戻ると、車のガソリンはほぼゼロだった。翌3月24日早朝、行きつけのガソリンスタンドで2時間余り待って、車のガソリンを満タンにした。

それ以来、車の燃料が半分になるとすぐガソリンを補給する癖がついた。「私もそうしている」という人が少なくない。原発事故がこのまま収束してくれることを願うが、そうなる保証はない。避難するための最低の準備はしておけ、と体が命じているといってもよい。

11月も後半である。普通の住宅でも暖房が必要になってきた。仮設住宅の防寒対策は十分か。きのう(11月18日)のように曇って寒い日は、どこでも暖房が欲しくなる。それで灯油を買いに行った。ガソリンも満タンにした。

寒気はやはり体によくない。体が震える。春の災禍の記憶が心を震わせる。

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