2011年11月15日火曜日
会津観光
「震災復興支援の集い」という名目で、会津若松市の奥座敷・東山温泉でミニ同級会を開いたのが11月12日。宴会に先立ち、鶴ヶ城と白虎隊の隊員が眠る飯盛山を見学して、会津の戊辰戦争に触れた。翌13日には南会津へ足を延ばし、大内宿=写真=と、近くの「塔のへつり」を見た。どこも観光客でごった返していた。
喜多方に親戚がいるので、会津へは何度か足を運んでいる。とはいえ、土地勘も、観光歴も乏しいから、東山温泉や大内宿の地理的位置はほとんど頭に入っていない。福島県の中通りで生まれ育ち、浜通りで暮らしてきた人間には、山また山の向こうの会津は、はるかに遠い「雪国」だ。
小学校の修学旅行で会津へ行き、猪苗代湖畔で記念写真を撮ったり、古い野口英世記念館を見学したりした記憶がある。3年前、県立博物館を訪ねた折には会津若松市内を歩いた。わが会津体験はその程度だ。あとで水系を確かめることで、やっと三次元での位置関係が明瞭になった。
会津は、大きくは阿賀川(阿賀野川)流域に入る。阿賀川は会津若松の南方、福島・栃木県境の荒海山に発する。会津盆地へ向かって反時計回りに北西へ進み、新潟県で阿賀野川となって日本海に注ぐ。日光へ抜ける下野街道が「南山(みなみやま)通り」と呼ばれるわけがわかった。
山間地の大内宿は上流左岸側の支流域、「塔のへつり」は本流の大川(阿賀川)にあり、東山温泉を流れる湯川は会津若松の北、阿賀川から見れば右岸の一支流になる。(このへんの説明が間違っていたらごめんなさい)
われわれが訪ねた観光地はどこもごった返していた、と書いた。東山温泉のホテルのロビーでいわきの若い知人と遭遇した。家族旅行だった。大内宿ではいわき市の水道局職員氏と顔を合わせた。課内旅行だったか。高速道が無料の「いわき」「福島」ナンバーの車が多かったということだろう。無論、県外ナンバーもいっぱい目についた。
風評被害がずいぶん言われてきたが、それはまだ続いているのかもしれないが、11月12、13日に関しては「さすがは会津」という感想を抱いた。
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