2011年11月30日水曜日

日本のスイス


わがふるさとの阿武隈の山に、同じ名前をもつ古殿町の山より高い鎌倉岳(967メートル)=写真=がある。鷲が今にも羽ばたかんとするような形をした、三つの頂きをもつ岩山だ。古殿町の鎌倉岳は標高669メートル。頂上はやはり鋭い。

小学校の高学年になってだったと記憶する。鎌倉岳への登山遠足があった。きついものだった。頂上からは、東に浪江~双葉町の海が遠望できる。西には遠く安達太良山がそびえている。山里の子どもは、海が見えるというだけでときめく。そのための山登りでもあった。

夏井川渓谷の無量庵には自然に関する本、自然と人間の関係を論じた本、家庭菜園に関する本などが置いてある。田中澄江さんの『花の百名山』『続・花の百名山』はこたつの上に置きっぱなしだ。『花の百名山』の鎌倉岳に関する文章を読んで、いろいろ思い出した。小学校の遠足はその一つだった。

巨岩の頂上に立った田中さんは瞠目する。「素晴らしい眺望である。大滝根山、殿上山、五十人山などが東西南北の眺めの中心になり、その間を丘陵がうずめていて、スイスの山村さながらである」。いわゆる「残丘」。海を大地にたとえれば、大海に浮かぶ島だ。

文章は続く。「スイスという言葉から、私たちの抱く心の映像は、山の自然と人間の生活が、長い歴史の中に積み重ねられて来たということである」

「私の旅をしたスイスも、心に描いた映像を裏切らなかった。人間は、山というきびしい自然の中で、それを利用する知恵をみがき、それとたたかう強靭な意志を育てる。スイスは牧畜がさかんであり、勇武な兵たちを生み、常葉町や三春町は、かつては軍馬の産地だった」

なぜこんなことを書くかというと、ちょうど20年前の今ごろ、正月からスタートするいわき民報の新企画「あぶくま紀行」の取材のために同僚のカメラマンと登山し、あらためて阿武隈高地が「日本のスイス」であることを実感したからだった。「ありんこの会」という山歩き好きのグループに加わっての登山だった。

凛とした大気、たおやかな山並み、静かな山里……。それはしかし、2011年3月、東からの海風によって汚染された。鎌倉岳へは追憶だけで登るしかなくなった、という思いが膨らんでくるのを止めようがない。

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