いわき市暮らしの伝承郷で今年度2回目の企画展「写真で綴るむかしのいわき展①平地区」が開かれている。8月30日まで。
平七夕祭り、盆踊り、じゃんがら念仏踊り、結婚式、葬式、農作業、上棟式のほか、いわき駅周辺、松ケ岡公園、平市街地、平窪地内、その他の平地区、豊間・薄磯・塩屋埼灯台、神社仏閣、学校(保育園・小学校・中学校・高校・高専)に分けて、計300点近い写真を展示している。
大半はアマチュアカメラマンの故松本正平さん(平窪)が撮影した写真だ。昭和20~30年代が中心だが、松本さんは昭和40、50年代にも積極的に街へ出かけるなどして写真を撮り続けた。長い撮影歴と行き届いたネガの管理によって、年代と場所と内容が一目で分かるようになっている。
いわき駅(旧平駅)周辺の写真では、明治44(1911)年ごろ発行の絵はがき(複写)が、駅そのものでは昭和15(1940)年発行の絵はがき(複写)が最も古い。常磐線が開通したのは明治30(1897)年だから、14年後、43年後の絵はがきということになる。
去年は、いわき駅前再開発事業と連動した駅周辺再生拠点整備事業のなかで駅ビルの「ヤンヤン」が解体された=写真(3月中旬撮影)。駅は、駅前は変転に次ぐ変転を繰り返している。近代化・都市化の宿命だろうか。記憶が追いついていけない以上は記録に頼るしかない。そんなことをまず感じた。
松ケ岡公園の安藤信正像は、大正11(1922)年に建てられたものは戦争中に供出された。今あるのは昭和36(1961)年に再建された2代目だ。作者はいずれも彫刻家の故本多朝忠さん。家族でよく本多さんの家を訪ねた者としていささかの感慨がある。戦前の信正像(絵はがきを複写)を初めて見たのだ。なんだかこちらはなよなよとしていて力強さに欠ける。
歴史研究家から聞いていた話では、信正のモデルは平の書店経営者だ。ところが、カミサンが本多さんの話として記憶しているのは、書店経営者とは別人の絵描きらしかった。どちらも面長で端正な顔をしていた。銅像の顔つき、雰囲気からすると、戦前と戦後ではモデルが違う、つまり両方正解ということか。むろん断定するような話ではない。
学校関係では、平高専(現福島高専)の昭和39(1964)年の実習風景に見入った。福島高専のホームページによれば、工作実習を行うのは2、3年生。1期生か2期生が旋盤と格闘している図、ということになる。
昔の写真を見るということは、それが建物であれ風景であれ、昔の自分を見るということだ。昔の自分の喜怒哀楽と再会することだ。それを糧にしなくてはならない――そんなことをたくさんの写真から教えられた。
平七夕祭り、盆踊り、じゃんがら念仏踊り、結婚式、葬式、農作業、上棟式のほか、いわき駅周辺、松ケ岡公園、平市街地、平窪地内、その他の平地区、豊間・薄磯・塩屋埼灯台、神社仏閣、学校(保育園・小学校・中学校・高校・高専)に分けて、計300点近い写真を展示している。
大半はアマチュアカメラマンの故松本正平さん(平窪)が撮影した写真だ。昭和20~30年代が中心だが、松本さんは昭和40、50年代にも積極的に街へ出かけるなどして写真を撮り続けた。長い撮影歴と行き届いたネガの管理によって、年代と場所と内容が一目で分かるようになっている。
いわき駅(旧平駅)周辺の写真では、明治44(1911)年ごろ発行の絵はがき(複写)が、駅そのものでは昭和15(1940)年発行の絵はがき(複写)が最も古い。常磐線が開通したのは明治30(1897)年だから、14年後、43年後の絵はがきということになる。
去年は、いわき駅前再開発事業と連動した駅周辺再生拠点整備事業のなかで駅ビルの「ヤンヤン」が解体された=写真(3月中旬撮影)。駅は、駅前は変転に次ぐ変転を繰り返している。近代化・都市化の宿命だろうか。記憶が追いついていけない以上は記録に頼るしかない。そんなことをまず感じた。
松ケ岡公園の安藤信正像は、大正11(1922)年に建てられたものは戦争中に供出された。今あるのは昭和36(1961)年に再建された2代目だ。作者はいずれも彫刻家の故本多朝忠さん。家族でよく本多さんの家を訪ねた者としていささかの感慨がある。戦前の信正像(絵はがきを複写)を初めて見たのだ。なんだかこちらはなよなよとしていて力強さに欠ける。
歴史研究家から聞いていた話では、信正のモデルは平の書店経営者だ。ところが、カミサンが本多さんの話として記憶しているのは、書店経営者とは別人の絵描きらしかった。どちらも面長で端正な顔をしていた。銅像の顔つき、雰囲気からすると、戦前と戦後ではモデルが違う、つまり両方正解ということか。むろん断定するような話ではない。
学校関係では、平高専(現福島高専)の昭和39(1964)年の実習風景に見入った。福島高専のホームページによれば、工作実習を行うのは2、3年生。1期生か2期生が旋盤と格闘している図、ということになる。
昔の写真を見るということは、それが建物であれ風景であれ、昔の自分を見るということだ。昔の自分の喜怒哀楽と再会することだ。それを糧にしなくてはならない――そんなことをたくさんの写真から教えられた。
2 件のコメント:
このブログで知って見に行きました。
企画展の350円は正直高い気がしました。
その時代の断面を切り取った過去に出会うと言葉も出ない印象でした。
通り過ぎる景色や生活を残したことに脱帽です。その時は価値はなくても変遷が驚きにつなげることと思いました。
変わらぬもの。昔から今もそこで暮らす人々の息づかいなのでしょうか?
この写真はタカじいさんが撮った写真ですか?
剥きだしの鉄骨やコンクリートの破片がみせる光景は爆撃の後みたいな感じで暴力的ですね!
変わっていくものと変わらずにあるもの。
見慣れた風景がスローに変わっていき、気がつけば変えなくてもいいのにとなんとなく捻じ曲げられたような錯覚さえ覚えます。
コメントを投稿