2025年5月8日木曜日

孤独な田植え

                                 
 日曜日ごとの「定線(点)観測」だから変化がわかるのかもしれない。4月下旬~5月初旬の大型連休をはさんで、いわき地方の田園風景がガラリと変わった。

 4月27日の日曜日。夏井川渓谷の隠居へ行く道すがら、水の張られた田んぼは増えたが、田植えのすんだところはまだのようだった。

 5月4日の日曜日。すでにあちこちで田植えがすみ、稲の苗が風にそよいでいた。何カ所かで田植え機が田んぼを往復していた。それを見て、思わず声を発した。「孤独な田植え」

子どものころに親類の家の田植えの手伝いをした。家族はもちろん、親類が総出で田んぼに繰り出し、稲の苗を植えた。あぜ道で昼食をとった。

それに比べたら……。田植え機が動いているほかは、手伝いの人の姿はない。周りの田んぼにも人影はない。

 街から行くと、小川町の片石田地内で平地が尽きる。その先には河岸段丘の高崎を経て山地の渓谷が待っている。

 小学6年生になって間もない6月。日帰りで小名浜港への修学旅行が行われた。阿武隈の山里から汽車を利用して夏井川渓谷を下ると急に平野が広がり、人がいっぱい出て田植えをしていた。60年以上前の片石田の田植えの記憶だ。

昔は梅雨どきが田植えのピークだった。それからすると、今は、1カ月は早い。しかも、「孤独な田植え」だ。

トラクターが耕起し、水の張られた田んぼで代かきをし、大型連休になると田植え機が行ったり来たりする。

わが生活圏の神谷耕土も、大型連休が終わるころに、多くが稲田に変わる。それが、今年(2025年)は様子が違っていた。

4月27日に通ると、田植えどころか、田んぼの表土がはぎとられて脇に積まれてあった=写真。こんな光景は見たことがない。よく耳にする圃場(ほじょう)整備というやつか。これでは今年の田植えは無理だろう。

5日早朝、表土がかき集められた田んぼの写真を撮っていると、散歩のおばさんから声がかかった。「山を撮ってるの?」「いや、田んぼです」。それから孤独な田植えの話になり、米不足の話になった。

カミサンの実家は、今となっては「元米屋」と書くしかない。店を守っていた義弟が腰を痛めて、米袋を担げなくなった。それで米の販売と配達をやめた。

支店に住むカミサンと私も、米の販売と配達がなくなった。今も若い人が「米はありませんか」とやって来る。何十年か前の不作のとき以来の現象だ。

政府は備蓄米を放出したというが、どこまで小売りに反映されているのか、値段はなぜ下がらないのか、元米屋のアッシー君は孤独な田植えを思い返しながら、ヒトゴトではいられない。

2025年5月7日水曜日

道端のツツジの花

                                 
 全体が花で覆われている。しかし、1週間後には葉が出て赤と緑の「まだら」になっているのではないか――。

そのとおりになった。夏井川渓谷の隠居へ行く途中で見た植栽のツツジ(サツキかもしれない)のことである。

ゴールデンウイークが始まる直前の4月27日。ツツジの花の美しさに見ほれて、隠居からの帰り、車を止めてカメラのシャッターを押した=写真。以下はそのときの様子。

平のわが家から渓谷の隠居までは車でざっと30分。田んぼ道から国道399号へ出ると上平窪の台地になり、坂を下るとすぐ小川町下小川に入る。

左手に小川小下小川分校の跡地が見えてくる直前、道端のツツジの花の列が目に飛び込んできた。

口の広い背負(しょ)いカゴがふせられ、すべて赤い花で飾られている――そんな第一印象だった。

 街で見慣れた民家のツツジは出合うタイミングが悪いのか、花の間に緑の葉が散らばっていて、赤やピンクの色と緑色の「しみ」でまだら模様になっている。ところが、ここのツツジは、チラッと見た限りでは緑のしみが一つもない。

 ここまで赤一色なのは、手入れが行き届いているからにちがいない。園芸には興味のない人間にも、花を咲かせる人間の思いが想像できた。

 翌年またちゃんと咲かせるには、しおれた花を根元から摘んでおくこと。だれかにそう教えられて、庭のツツジの手入れをしたことがある。しおれ花の数の多さに、一度やって音を上げた。

 それともう一つ。作家の角田光代さんがつづった短文を思い出した。月刊の「文藝春秋」に彼女が文を書き、カメラマンの平間至さんが写真を担当した大手不動産会社のコマーシャルだ。「ささやかさ」というタイトルがついていた。

日常のなにげない風景を支えているのは、実はだれかの無償の行為である、そんな趣旨の、詩のような短文だ。

「差し出されたお茶とか、/てのひらとか。/毎朝用意されていたお弁当とか、うつくしい切手の貼られた葉書とか。/それから、歩道に咲くちいさな赤い/花とか、あなたの笑顔とか。」が前半。

後半は「私たちは日々、だれかから、/感謝の言葉も見返りも期待されない/何かを受け取って過ごしている。/あまりにもあたりまえすぎて、/そこにあることに、ときに/気づきもしないということの、/贅沢を思う。幸福を思う。」と続く。

緑のしみが一つもない見事なツツジの花の列に、「歩道に咲くちいさな赤い花」が重なり、「感謝の言葉も見返りも期待」しない人間の無償の行為が浮かび上がってきた。

2025年5月2日金曜日

春のお福分け

                                 
 知り合いから野菜や山菜が届く。基本は互恵。スーパーでの買い物とは別に、お福分け=非金銭経済の循環が暮らしを彩る。

 春の山菜、夏のキュウリ、秋のハヤトウリ、冬の白菜、ネギ……。1回の量としては1~2玉、あるいは数本であっても、年間を通せばけっこう家計の足しになっているのではないか。

春はなんといっても山菜だ。夏井川渓谷にある隠居の庭だけでもヨモギが生え、フキノトウが現れる。今年(2025年)は2年ぶりにアミガサタケ(キノコ)が発生した。

「原発震災」後、庭は全面除染の対象になり、土を入れ替えた。放射線量は問題のない範囲に収まったので、ネギの栽培を続け、フキノトウなども採っている。

毎年のことながら、春になると行政のホームページをチェックする。今年もゼンマイやワラビ(野生)、コシアブラ、タケノコ、タラの芽(野生)、原木ナメコ(露地)は、出荷(販売)が制限されたままだ。

野生のキノコは出荷だけでなく、摂取も制限されている。隠居の庭に出るアミガサタケや梅雨どきのマメダンゴ(ツチグリ幼菌)、秋のアカモミタケ、ヒラタケ以外は、やはり口にするのがはばかられる。

栽培ワラビやフキ、ウドは出荷制限が解除されてからだいぶたつ。コゴミ(クサソテツ)やシドケ(モミジガサ)も出荷制限には入っていない。

出荷制限のかかった山菜は、出荷以外は自己責任で――となるわけだが、老い先短い人間には少量でも貴重な「口福」になる。

カミサンが料理に知恵を絞る。まずはてんぷらになり、翌日には煮物になって食卓を飾った。別の日にはタケノコと天然ワカメとアミガサタケの煮物が出てきた=写真。

天然ワカメもいただきものだ。養殖ワカメと違って、ゆがいても中身がしっかりしているという。食べるとその通りで、歯ごたえがあった。

アミガサタケは私が採った。最初はバター炒めになって、単品で出てきた。味噌汁に入れたらどうだろう。私のアイデアにカミサンが乗ったが、これは失敗した。味もそっけもない。

アミガサタケはやはりバター炒めか。あきらめていたところへ、天然ワカメとタケノコを煮物にするというので、それに追加してもらった。こちらは成功した。

 タケノコも、天然ワカメも、アミガサタケもそれぞれの持ち味が失われることなく調和していた。アミガサタケは煮物にもいいことがわかった。

ついでながら、お福分けのタケノコはゆでて調理するばかりの状態が主婦にとっては最高という。皮をむく手間が省けるからだ。

私も食欲を刺激されて、ゆであがった先端部分をカットして糠床に入れてみた。酒のつまみになった。ご飯のおかずにもよさそうだ。次は根元の方を漬けてみるか。

2025年5月1日木曜日

ペットボトルで栽培

                                
   プランターに利用するのは、正方形だと幅10センチ前後のペットボトル(2リットル以下)だ。筒状の上部は切り取っておく。

底が見えなくなる程度に鉢底石を敷き、培養土を加える=写真。この際、トントンと土を詰めるようなことはしない。

タネは2~3種類の在来作物(昔野菜)で、フワッとした状態の土の表面に置き、その上に細かくした落ち葉のふとんをかけて、霧吹きで3回ほど水を吹きかける。

森のなかの木の実が林床に落下し、やがて落ち葉の間からタネが発芽する様子をイメージするとわかりやすい。ペットボトルは「小さな地球」だ。

 これは今年(2025年)2月、いわき市の中央台公民館で開かれた第12回いわき昔野菜フェスティバル(同野菜保存会主催)のイベントの一つ、「ペットボトルプランターで昔野菜を育ててみよう!」(ワークショップ)の一こまだ。

講師は一般社団法人シーズオブライフのディレクター坂田奈菜子さんが務めた。

当初は、同法人代表理事で社会起業家のジョン・ムーアさん(高知県)が講師の予定だったが、インフルエンザにかかり、急きょ、坂田さんに代わった。

そのときのワークショップの様子を伝える拙ブログを一部、要約・再掲する。

――世界の66%の耕作地はわずか9種類のために使われている、世界の耕作地の20%は農薬や土壌汚染、温室効果ガスなどで農業に適さなくなっている……

 座学で日本と世界の農業の現状に触れたあと、地球の環境と多様性を学ぶには自分でタネをまくことが一番、というわけでプランターづくりが行われた。

つくったプランターは家に持ち帰り、植物の身になって置く場所を決めること。講師のアドバイスが耳に残った――。

 私は会場の隅っこから見聞するだけだったが、ワークショップに参加した保存会の会員によると、「タネが発芽した」「しなかった」と結果は分かれたようだ。

 同じ野菜から採れたタネでも優劣があり、同じ方法で管理しても違いが出る。一つひとつ異なる結果が出るところが土の面白いところだ。

 ジョンさんは、地球を次世代へ継承するには自然資源を回復させる行動を意識して選択する必要がある、と考えている。

 そのジョンさんが彼岸に旅立ったという。先日、いわき昔野菜保存会のフェイスブックに、シーズオブライフからの訃報が転載された。

 ジョンさんは9年前、同フェスティバルに講師として加わった。保存会では次年度のフェスティバルでもペットボトルプランターづくりのワークショップを計画していた。あまりにも突然の訃報に言葉もない。合掌。

2025年4月30日水曜日

谷間のシロヤシオ

                                              
   4月最後の日曜日(27日)。いつもより1時間早く、朝8時過ぎには夏井川渓谷の隠居に着いた。

 渓谷の手前、小川町の高崎地内ではウツギの白い花が咲いていた。「地獄坂」を上って渓谷に入ると、やはり白い棒アイスのような花が待っていた。ウワミズザクラだ。

 周りの森はヤマザクラの花が散って新緑に包まれている。ちょっと前まで空が見通せた渓谷の道路も、淡い緑のトンネルに変わった。

 籠場の滝の近くでは、紅紫色のトウゴクミツバツツジの花。ここもアカヤシオ(岩ツツジ)とヤマザクラの花は散って、「山笑う」から「山滴る」に変わりつつある。

隠居では庭のシダレザクラの樹下に直行した。4月13、20日と、アミガサタケが頭を出していた。27日は?と見れば、やはりあった。この春一番の大きさだ。大小合わせて5個を採った。

それからいつものように畑に生ごみを埋め、庭を一巡りした。アミガサタケ以外は、ふだんと変わらない。草が芽生え、丈が伸びて緑のじゅうたんが広がりつつある。

シロヤシオ(ゴヨウツツジ=方言・マツハダドウダン)はどうか。対岸には白い花はなかった。

少し下流の谷間には「マイ・シロヤシオ」がある。県道を行き交う車からは見えない。隠居からガードレールに沿って100メートルほど進み、木々の間からのぞくと、渓流にこぼれ落ちるような感じで白い花が咲いていた=写真。

シロヤシオは毎年咲くとは限らない。咲いても数が少ない年がある。マイ・シロヤシオは、その開花の有無を確認できる「標本木」でもある。

拙ブログを読むと、9年前(2016年)の4月24日はこんな具合だった。

――隠居へ着くと対岸の急斜面にはシロヤシオの点描画が展開していた。谷間のシロヤシオは、行楽客には木々の緑に遮られて見えない。その木の全体を見るにはガードレールをまたぎ、谷へと下って行かないといけない。足場はよくない。

 岸辺の岩盤に根を張り、天に向かって伸びた幹から枝葉が川になだれるように垂れている。そう、花のかたまりは白いドレスのようだ。

 このシロヤシオに気づいたのは震災後だった。県道をぶらぶら歩いているうちに、木の間越しに白いかたまりが見えた。

一本の木の花の数としては溪谷随一ではないか。ササの茎につかまりながら谷へ下り、ひとり、対岸のシロヤシオの花と対面した。心が洗われた――。

 ブログには、シロヤシオと開花時期が同じトウゴクミツバツツジやヤマツツジ、ウワミズザクラも咲きだしていた。いつもだと、開花を確認するのは新緑に包まれた5月初旬だ。例年より1週間余り早く開花した――ともある。

草木は年々開花を早めているようだ。2021年は4月中旬に開花を確認した。私が渓谷に通い始めた30年間では最速だった。シロヤシオはもう4月下旬の花になったのかもしれない。

2025年4月28日月曜日

ある詩の1行

                                           
 生態学系の本を読み続けているせいか、ふと思い出した詩の1行がある。

 人間の開発圧力が及んで、動物たちが姿を消していく。そのとき、動物たちには人間にサヨナラをいう気はない――そんな感じの詩行だった。

 だれの詩だったか。確かアメリカの詩人だ。ロバート・フロスト? 違う。ゲーリー・スナイダー? それも違う。

 フロストでも、スナイダーでもない、だれか。ネットでアメリカの現代詩人を検索して、記憶がよみがえった。ヘイデン・カルース。

そう、カルースの詩集『雪と岩から、混沌から』(書肆山田、1996年)=写真=の中に出てくる1行だった。

 詩集としてはけっこうな厚さで、沢崎順之助とDW・ライトが作品の選択、試訳と分担しながら、共同で作業を進めた。

 夏井川渓谷の隠居へ通い始めたころ、新聞か雑誌で知り、山村暮らしをしている詩人に興味がわいて本屋に注文したのではなかったか。

 まだ50代前だった。隠居へ行くたびに詩集を開いていたが、そのうち本棚の隅に置きっぱなしになった。

 カルースは1921年、アメリカ・コネチカット州に生まれた。ニューハンプシャー州の山村に生活して詩作を続けている、と本の著者略歴にある。ジャズ音楽を中心にした評論も多いという。

 それ以外の情報は、残念ながらネットでも得られなかった。翻訳詩集が出たとき、詩人は75歳だった。本人とも連絡を取りながら、日本語訳の詩集がなった。生きていれば104歳になる。

 記憶にあった1行は、「随想」という詩の最終行だった。「動物の死を題材にした詩はじつに多い。」で始まる27行の詩で、「この歳月は動物を消滅させる歳月だった。」ともある。

「シカはけたたましいスノーモービルに追い立てられ/ぴょんぴょん跳ねて、最後に生存のそとへ/跳んで消える。タカは荒らされた巣のうえを/二度三度旋回してから星の世界へ飛んでいく。」

「生存のそと」も「星の世界」も動物の死を暗示する。そして、その結語。「動物たちには人間を責める能力があるかどうかは知らない。/しかし人間にサヨナラを言う気がないことは確かだ。」

「サヨナラだけが人生だ」は、作家井伏鱒二の、唐詩選からの「超訳」だが、こちらはある意味で自然と人間の対立を象徴する。

もともと動物たちは人間にサヨナラを言うような存在ではないにしても、カルースが文字にして示すと心が波立つ。

「人新世」がいわれる現代、「生存のそと」へと消えてしまうのは、次は……という思いになる。

40代後半で乱開発の警鐘に触れ、70代後半でさらに事態は深刻の度を増したという思いを深くする。

2025年4月26日土曜日

新ゴボウ

                                
    日曜日は夏井川渓谷の隠居で土いじりをする。その帰り道、食材を調達するために平窪のやさい館へ寄ることがある。私は「カゴ担当」だ。

4月20日はナメコ、ポン菓子、キュウリ、カブなどと一緒に、細くて短い新ゴボウを買った。

カブとキュウリは糠漬けの材料だ。今年(2025年)の漬け始めはカブ。そして、今はキュウリも加えて交互に、あるいは同時に漬けている。

新ゴボウは水曜日の午後、カミサンが細切りにして味を付けながらサッとゆでた。それが終わったところへ楢葉町の知人がやって来た。

知人はいつも手製の食べ物か食材を持参する。今回はゴボウのきんぴらだった。カミサンからその話を聞いて驚いた。なんという偶然!

夜、食卓にゴボウの煮物ときんぴらが並んだ=写真。味比べをするつもりはない。が、どうしても比較してしまう。どちらもやわらかかった。それだけでホッとする。

ゴボウにゴボウだから、そう簡単には器がカラにならない。翌日もまた、晩酌のおかずになって出た。それでも余った。

こんなときに義弟がいたら、と思う。ゴボウに限らない。もっと早くおかずの器がカラになるのではないか。

隣家に住んでいた義弟が彼岸へ旅立って半年になる。それからわが家の食事の風景が変わった。

義弟の不在を、私は漬物の消費量から感じてきた。「食べるだけの人間」だが、漬物は私がつくる。

冬は白菜漬け、春~晩秋は糠漬け。糠漬けはカブから始まって、すぐキュウリに移り、その後はキャベツやニンジン、ハヤトウリ、大根などと季節に応じて変えていく。

 義弟は私より1歳年下だ。同じ団塊の世代で、食べ物の好みが似ている。ご飯には漬物を欠かさない。

 今は白菜漬けから糠漬けに切り替えて1カ月といったところだろうか。その糠漬けの減り方がこれまでと比べてずいぶんゆっくりになった。

   一つには、私ら夫婦の食べる量が減ったこと。二つ目は義弟が亡くなって、食卓を囲む人間が1人少なくなったこと。それでごはんとおかずの消費量が減ったのだ。

 ゴボウのきんぴらも煮物もこれだけやわらかいと、歯の悪かった義弟も普通にかむことができたのではないか。

 冬の白菜漬けも、春の糠漬けも空気に触れている時間が長くなると、酸味が増す。私はそれをあまり好まないので、ますます食べる量が減る。

 ま、それはさておき、今度新ゴボウが手に入ったら糠漬けにしてみようか。あれだけやわらかいのだから、漬かりも早いはずだ。食べる量は減っても、食欲そのものはそう変わらない。