日曜日ごとの「定線(点)観測」だから変化がわかるのかもしれない。4月下旬~5月初旬の大型連休をはさんで、いわき地方の田園風景がガラリと変わった。
4月27日の日曜日。夏井川渓谷の隠居へ行く道すがら、水の張られた田んぼは増えたが、田植えのすんだところはまだのようだった。
5月4日の日曜日。すでにあちこちで田植えがすみ、稲の苗が風にそよいでいた。何カ所かで田植え機が田んぼを往復していた。それを見て、思わず声を発した。「孤独な田植え」
子どものころに親類の家の田植えの手伝いをした。家族はもちろん、親類が総出で田んぼに繰り出し、稲の苗を植えた。あぜ道で昼食をとった。
それに比べたら……。田植え機が動いているほかは、手伝いの人の姿はない。周りの田んぼにも人影はない。
街から行くと、小川町の片石田地内で平地が尽きる。その先には河岸段丘の高崎を経て山地の渓谷が待っている。
小学6年生になって間もない6月。日帰りで小名浜港への修学旅行が行われた。阿武隈の山里から汽車を利用して夏井川渓谷を下ると急に平野が広がり、人がいっぱい出て田植えをしていた。60年以上前の片石田の田植えの記憶だ。
昔は梅雨どきが田植えのピークだった。それからすると、今は、1カ月は早い。しかも、「孤独な田植え」だ。
トラクターが耕起し、水の張られた田んぼで代かきをし、大型連休になると田植え機が行ったり来たりする。
わが生活圏の神谷耕土も、大型連休が終わるころに、多くが稲田に変わる。それが、今年(2025年)は様子が違っていた。
4月27日に通ると、田植えどころか、田んぼの表土がはぎとられて脇に積まれてあった=写真。こんな光景は見たことがない。よく耳にする圃場(ほじょう)整備というやつか。これでは今年の田植えは無理だろう。
5日早朝、表土がかき集められた田んぼの写真を撮っていると、散歩のおばさんから声がかかった。「山を撮ってるの?」「いや、田んぼです」。それから孤独な田植えの話になり、米不足の話になった。
カミサンの実家は、今となっては「元米屋」と書くしかない。店を守っていた義弟が腰を痛めて、米袋を担げなくなった。それで米の販売と配達をやめた。
支店に住むカミサンと私も、米の販売と配達がなくなった。今も若い人が「米はありませんか」とやって来る。何十年か前の不作のとき以来の現象だ。
政府は備蓄米を放出したというが、どこまで小売りに反映されているのか、値段はなぜ下がらないのか、元米屋のアッシー君は孤独な田植えを思い返しながら、ヒトゴトではいられない。
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