2008年7月29日火曜日

啄木展/記念講演会


いわき市立草野心平記念文学館で開館10周年記念企画展「石川啄木 貧苦と挫折を超えて」が開かれている(8月24日まで)=写真。7月27日には詩人の中村稔さんによる記念講演会「啄木の魅力」が開かれた。

まだ根なし草だった21歳のころ、東京のアパートでしばらく寝込んだことがある。何をする気にもなれない。食欲もない。かろうじて本を読むことだけが生存している「しるし」だった。ドストエフスキー、宮沢賢治、石川啄木、鮎川信夫、大岡信、ポール・ニザン…。このあたりを読みつないで救われた、という思いがある。

なかでも啄木の短歌は、悲しい涙ではなく苦い笑いをもたらす栄養剤として、何度も読み返したものだ。例えば、次のような歌。

<手も足も出ずと呟きて手も足も投げ出して寝る男の顔かな>

カネはない。食べるものもない。万事休してSOSのはがきを出すと、ちゃんといわきの学校を卒業して東京の会社に就職した同級生がアパートへやって来る。寝込んでいる私を外へ連れ出しては、私鉄の駅に近い店ですき焼きをおごってくれるのが決まりになった。

それやこれやで3カ月も過ぎると、少しずつ立ち上がる気持ちがわいてきた。年が明けて、春には大阪万博が開かれる。ちょうどそのころ、親類の口利きで万博会場の駐車場誘導員になった。

<あたらしき心もとめて名も知らぬ街など今日もさまよひて来ぬ>

豊中のタコ部屋から大阪へは電車ですぐだった。「現代詩手帖」を買いに行っては、タコ部屋で読みふけった。そんな若造だったから、10代の後半には、年上の友人から借りて中村さんの詩集『鵜原抄』を読んだ。それが最初だった。

中年以後は、意識して中村さんの詩を読み続けている。思潮社の現代詩文庫『続・中村稔詩集』は、週末を過ごす夏井川渓谷での愛読書だ。中でも詩集<浮泛漂蕩>(全編)には敗戦時に18歳だった中村さんの戦争観、つまり「昭和2年生まれのまなざし」のようなものが感じられる。

啄木、中村稔とくれば、なにをさしおいても聴きにいかなくては。というわけで、渓谷から文学館へ駆けつけた。詩人であると同時に弁護士でもあるすぐれた世俗の人、中村さんの啄木観はクールで優しい。

<新しき背広など着て旅をせむしかく今年も思ひすぎたる>

啄木のこの「新しき背広」を受けて詠んだ萩原朔太郎の「旅上」、<ふらんすへ行きたしと思へども/ふらんすはあまりに遠し/せめては新しき背広をきて/きままなる旅にいでてみん。>に触れながら、二人を対比する。「朔太郎は親が医者、道楽息子だから新しい背広を着て旅に出ることもできたが、啄木はそう思うだけで『今年も過ぎた』」。好きな歌の一つだという。

「日常をうたって短歌の革命を起こした」「初めて『散歩』という言葉を使った」――。中村さんの講演からいくつか刺激を受けたものがあるので、考えがまとまったらいずれ誰かの意見を聞いてみたい。

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