2008年7月28日月曜日

キャロルとスナイダー


「プレイボーイ」9月号の新聞広告には驚いた。総力特集「生きる意味を知る言葉 詩は世界を裸にする」だと。<池澤夏樹が選ぶ20世紀の詩人10人>と<『プレイボーイ』が選んだ世界の詩人たち>を取り上げている。

早速、本屋へ出かける。若いころ、何度か買ったことがあるような、ないような。それ以来だから30年余はたつ。レジの前でドキドキするようなことはなかったが、総力特集を除けば、いかにも「プレイボーイ」誌らしい。生まれたままのイヴ路線は健在だ。

ゲーリー・スナイダー(米国)。気になる詩人の一人である。「キャロルに」と献辞が添えられた「道をそれて」という詩が紹介されていた=写真。一言でいえば「山中深く/二人並んで/岩を超え 森に分け入っていくこの散歩」をうたったものだ。スナイダーは森を巡る人間なので、かねて興味を抱いていた。

で、キャロルとはキャロル・コウダのことだ。スナイダーの妻になった日系アメリカ人。キャロルにささげられたスナイダーの詩集『絶頂の危うさ』(原成吉訳=思潮社刊)に、キャロルの母ジーン・コウダをうたった詩「コーヒー、市場、花」がある。

<ぼくの義理の母は/アメリカ生まれの日本人で/仲買人には手強い/頭が切れる商売人/裸足で働きながら育ったのは/サクラメント川が作るデルタの農場。/日本が好きではない。/コーヒーのマグを片手に/朝早く、窓辺にすわって/(1行あき)桜の花を見つめている/ジーン・コウダ/かの女に詩はいらない。>

詩集の最初の注釈「キャロル」と合わせて整理すると――。キャロルの母、ジーンは日系アメリカ人で、カリフォルニア州ドス・パロスで農業(稲作)を営んでいた日系二世のウイリアム・コウダと結婚し、2人の娘メアリーとキャロルをもうけた。

「稲作」「コウダ」とくれば、すぐ思い浮かぶのはいわき市小川町出身の「ライスキング」国府田敬三郎。『国府田敬三郎伝』に当たるまでもない。キャロルは「ライスキング」の孫だ。敬三郎・愛恵夫妻の間にウイリアム(真一)・エドワード(敬二)・フローレンス(米子)の3人の子どもがいて、ウイリアムはジーンと結婚する。

注釈に戻れば、キャロルは何年か小学校の先生をやり、医師助手の資格を取って診療所で働いた。登山家・ナチュラリスト・鳥類研究家・環境保護活動家と多彩な顔をもつ。1991年、スナイダーと結婚し、その年にガンの宣告を受けた。闘病生活を続けたが、2006年に亡くなる。享年58。

いわきとは直接関係がないといえばその通りだが、勇躍渡米し、辛酸をなめた末に恒産を築いた一世、アメリカ人として太平洋戦争にも志願して戦った二世、多文化社会のなかで生きるキャロルら三世、四世のつらなりとアメリカ社会への広がりが垣間見える。

それぞれのルーツへの関心は違っていようが、キャロルに祖父の生まれ育ったいわき市小川町はどう映ったか。関心があったか、なかったか。スナイダーと同様、キャロルも気になる存在になった。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

ネギのことを調べていてこちらを拝見させていただいたので、私が知っている情報を少し。田村郡には昔、岩江村がありその中に阿久津町がありました。その岩江村は昭和30年11月に、三春町と郡山市へ編入・合併されました。その郡山市に編入された中に阿久津町があります。今は郡山市阿久津町として知られていますが、昔は岩江村として田村郡の一部だったことになります。三春ネギの確信についてはわかりませんが、憶測として田村郡で作られていたネギが、岩江村を例とした昔の編入・合併により、生産地が分けられその地域によって呼び名が変わったといった感じでしょうか。突然すみませんでした。