2008年7月12日土曜日

勿来は今も「副都心」?


北茨城市の茨城県天心記念五浦美術館で、いわき市の写真集団ZERO作品展(7月9~13日)を見た帰り、植田ショッピングセンター=写真=で買い物をした。「キュウリがないよ」とカミサンが言うから、昔、3年間勤務した植田で用を足すのもいいか、と思ったのだ。

キーテナントのイトーヨーカ堂が撤退したあとに入った藤越で、キュウリ・ナス・ピーマンなどを買う。ついでに2、3階をのぞく。「完全閉店セール」をしている店があった。

再開発ビルが建って様変わりしたいわき駅前と、私が着任したときから数えて27年変わらない植田駅前と、二つを比較しているうちにだんだん悲しくなってきた。<勿来地区は相変わらずいわき市の『副都心』か>。勿来地区出身の知人と、勿来地区のことをしゃべったばかりだったから、よけいそう思ったのかもしれない。

私は、いわき市が「超広域都市」のために、いまだに全体像がつかめない。で、それをカバーする手段として、いわきを三つの流域の連合体とみることを勧めている。北から言うと、夏井川(旧平市が中心)、藤原川(旧磐城市=小名浜)、鮫川(旧勿来市が中心)だ。それが一番、自然にかなった地域観だと信じているのだ。

モータリゼーションと「土建行政」が縄をよるようにして郊外の開発を招き、中心市街地の空洞化をもたらした。その反省も踏まえて、広いいわきではなく住民により身近な場で行政を展開するには、流域ごとに地域をみる、そこで自主的なまちづくりを進める――というのが私の考えだ。

いわき駅前が「いわきの中心市街地」になったのは、「一市一中心市街地」の建前による。中心は二つも三つもないというが、そもそもいわき市は楕円球のような「多焦点都市」である。中心は一つではないのだ。再開発ビルと芸術文化交流館で活気づく平、ウオーターフロントに磨きのかかる小名浜、そして「副都心」のままの勿来。

税金面ではかなり貢献しているが、予算面ではかなり割りを食っている。いっそのこと、勿来は遠野・田人と連合して、つまり「鮫川流域共同体」として独立してはどうか、あるいは平と同じように駅前を再開発してはどうか。あらためてそんなことを考えさせられる買い出しになった。

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