2012年3月9日金曜日

「冥途のみやげ」だなんて


小名浜の高橋安子さんから恵送いただいたコスモス短歌会福島支部の歌集『災難を越えて 3・11以降』を2月27日に紹介した。小名浜の知人が早速、ブログをプリントアウトして高橋さんに送ったらしい。こちらからのはがきへの返信を兼ねた礼状が届いた。

「コピーをして支部会員に配布するように手はずを整えました。みんなどんなに喜ぶでしょう。みんないい冥途のみやげとなります」。な、なんですか、「冥途のみやげ」だなんて。

はがきを読んで少しすまない気持ちになった。今もそれが尾を引いている。歌集に作品を寄せた22人のうち、8人の作品しか紹介しなかった。ブログの文章をいつもの分量に収めようとしただけだから、他意はない。優劣や好き嫌いでもない。

大地震・大津波=写真、そして原発災害。圧倒的な現実に、コスモス福島支部のみなさんはかろうじて短歌で向き合っている。

短歌によって支えられている。そういう人たちがいる。名もない人たちの、というより当たり前に暮らしている人たちの、心の記録。

前回紹介しなかった人の作品を次に掲げる。

がうがうと被災地にゆくヘリ続き空襲の記憶また改まる(安藤美江子)
大地震(おほなゐ)に病院壊れ長男がその心労か五十歳で逝く(池田康子)
テレビより被曝の報に山人ら育ちし野菜つぎつぎ倒す(岩沢ふじを)
この身一つ無事にあればと歩きたり津波の速さにただ驚きて(宇多妙子)

 おじいちゃん、耳をすませば草や木の歌が聞こえるよ
人棲まぬ町となりたるふるさとの木草にひくき声あらしめよ(尾崎玲)
三月の冷たき浪が胸にまで押し寄せたりとふ友らの街に(岸キク)
家ごもり二ケ月過ぎぬ思いきり五月の風に吹かれてみたい(紺野晴子)
大津波を逃れ帰郷の檜沢さん声ふるはせて体験を語る(砂土木一路)

客に茶を進めし直後畳浮き家鳴りて揺るこは何ごとぞ(髙松こと)
大揺れの直後ホールに釘付けで逃げるを知らず津波そこまで(長瀬慶一郎)
大津波に呑まるる弟夫婦をば助けえざりしとその姉嘆く(芳賀テル子)
昭和の世原子爆弾に戦破れ平成の世に再びこのざま(星源佐)

夢いっぱい詰まった赤きランドセル瓦礫の横にぽつんと一つ(松本真智子)
レトルトの粥ですまぬがあと少し飲み込みてくれ病みいる父よ(吉田葉亜)

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