2012年3月12日月曜日
キャンドルナイト
きのう(3月11日)は午後2時46分まで、わが家にこもって「仕事」をした。おとといもそうだ。先送りしていた書類、たとえば「確定申告」がある。ほかにつくらなければならない資料もある。おとといは書類とにらめっこをし、きのうは資料を整理して、なんとかみられるかたちにした。
テレビはかけっぱなしにしておいた。どのテレビ局も3・11から1年がたつために、特番を続けている。テレビを見ていたら「仕事」にならない。でも、どんな番組づくりをしているかは知りたい。AM、FMのラジオもチェックすべきなのだろうが、耳も目も二つで一つ。テレビをサーフィンしながら過ごした。
2時くらいからNHKにしぼる。政府主催の追悼式が始まり、2時46分に時報が鳴った。こたつから立ち上がり、海の方に向かって黙祷する。その前に、テレビの奥の杉戸に張った去年3月のカレンダーに合掌する。1年前のそのときを思い出して息苦しくなる。
野田首相が式辞を述べ、天皇陛下のおことばを聞いたら、急に空腹感を覚えた。カミサンに「食べに行こう」と言うと「豪遊したい」。午後3時。車で5分もかからない国道6号沿いの「幸楽苑」へ行く。一番安い中華そばと、ギョウザ一皿を頼む。しめて1000円未満の「豪遊」だ。
日曜日だからそうなのかどうか。親が30代、40代と思われる家族連れが次から次へと入ってきた。レジで金を払うときに聞いた。いつもこう? 3時ごろはパタッと途切れるときがあるが、今日は違う、ということだった。私ら夫婦がそうだったように、「2時46分」を迎えたあと、外食をしよう、となったか。
「2時46分」は大震災の始まった時間。大津波はそれから少したってやってきた。豊間の、旧知の志賀大工の家へ様子をうかがいに行ったら、地元の人が何人かいて「キャンドルナイト」の準備に追われていた。その渦中に巻き込まれて、たちまち手伝う羽目になった。
神戸からやってきた「希望の灯」=写真=を会場に持って行ってくれとなって、いよいよ帰るに帰れなくなる。
キャンドルナイトは、脚本家倉本聰さんの呼びかけによる。倉本さんの演劇塾を卒業した豊間出身の女優の両親、祖母が津波で亡くなった。父親は志賀大工の同級生。で、地元の「若手」が裏方を引き受けた。志賀大工からその話を聞いていたので、なんとなく豊間へ足が向いたのだった。行ってよかった。あしたはその様子を。
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