2012年3月11日日曜日

1年がたった


とうとうこの日がきた。ゆうべ(3月10日)は飲んでやれと思った。が、カミサンに焼酎の一升瓶を取り上げられた。

そうだ、二日酔いで3・11を迎えるわけにはいかない。そんなことをしたら、亡くなった人たちに申し訳ないではないか。いや、そんな物言いこそが亡くなった人たちに失礼だ。

3月に入った途端に気持ちが落ち着かなくなった。やらないといけないことがある。なのに、それが手につかない。たかだか「半壊」の家の住人でさえそうなのだから、津波で家や家族を失った人たち、原発事故に追われた人たちは、呼吸が苦しくなるほどの思いで3・11を迎えたのではないか。

「鎮魂には死者の魂を鎮めると同時に魂を奮い起こすという意味もある」。J―CASTニュースの「被災地からの寄稿」欄をのぞいていて、胸に入ってきたフレーズだ。

岩手からの発信だが、そのフレーズを舌頭でころがしているうちに、魂が鎮められ、奮い起こされるのは、死者だけではない。生きている人間もまた鎮魂することで鎮魂されているのだ、と知った。悲しみとともにあなたたちの分も生きる、魂を奮い起こして――それがもう一つの鎮魂の意味なのではないか。

きょうもあちこちで鎮魂のイベントが行われる。でも、午後2時46分まではわが家で過ごす。

テレビの奥の壁、というよりインテリア代わりの杉戸に去年3月のカレンダーが張ってある=写真。3・11を忘れてはいけない、3・11を踏まえて生きねばならない、という思いから去年4月に張った。

2時46分がきたら、カレンダーに合掌し、海の方を向いて黙祷をする。それからだ、どこかへ出かけるとしたら。

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