2009年12月24日木曜日
雨情年譜に新事実
いわきの平地、夏井川の堤防そばの畑でネギの収穫が始まった。夕方、農家の一角、ビニールハウスのなかで出荷前の作業が行われていた=写真。機械でネギの皮をむく。ネギ特有のにおいがかすかに漂う。ハウスの前の畑には掘り起こされた根深ネギが規則正しく横たわっている。
わが散歩コースは、いわきでも有数の根深ネギの産地。春に苗を定植し、土を盛りながら白根を長く太くする。そうして栽培したネギの収穫が冬に始まる。すると間もなく、新しい年がやって来る。
ネギの収穫が始まると、野口雨情の短い詩が思い浮かぶ。〈びュ びュ 風が/山から/吹いた/昨日も 今日も/畑 に/吹いた/畑の中の/葱坊主/寒いな。〉
ネギ坊主が形成されるのは晩春から初夏。確かにそのころ、最後の北風(季節風)が吹く。が、どうもこの作品、しっくりこない。最後の〈寒いな〉が真冬とつながってしまい、ネギ坊主ができる季節との間にずれを感じるのだ。
「三春ネギ」を種から栽培している人間にとっては、ネギ坊主は次へ、来年へとネギの命をつなぐ源だ。冬、畑に取り残しておいたものが、春になるとぐんぐん成長して「ぼんこ」をつくる。たっぷり寒さを経験して初めてできるネギ坊主だ、いまさら〈寒いな〉もないものだが――。
ま、それはさておき、雨情のことを調べていて、『定本 野口雨情』の年譜にない“事実”に行きあたった。雨情は北海道で新聞記者をやった。その前、水戸でも新聞記者をやっていた、というのだ。
いわきの新聞記者の大先輩、故荒川禎三さんの著書『石炭志――常磐炭田史』に、茨城の「常総新聞」で雨情と同僚だった新聞記者の「雨情談」が載っている。それを読んですぐ、水戸の知人に連絡したら、間髪をおかずに資料が届いた。
平成8年10月10日発行の「二松学舎大学人文論叢第57輯」に、金子未佳さんという人が「明治38年を中心とする野口雨情関連資料――地方紙『いはらき』、『常総新聞』との関わり」という論文を載せていて、私の知りたい事実がずばりと書いてある。
荒川さんが紹介している時期(大正6年)とは異なるが、明治35年5月以降、38年以前に「常総新聞」の記者をやっていたことが、それで分かった。「この新事実は、今までの雨情研究で全く言及されていない」と金子さんも書く。雨情年譜が書き換えられるのだから、「特ダネ」だ。金子論文に光は当たったろうか。
いわき市常磐の野口雨情記念湯本温泉童謡館で毎月おしゃべりをしている。11月と12月は「雨情ゆかりの人々」。「特ダネ」をつかんだのは、先週の土曜日(12月19日)におしゃべりする前日。うきうきして新事実を紹介した。館内にある雨情年譜のそばにそのことを書いた紙を張り出したら――そんな提案もあった。
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