2010年8月18日水曜日
造林詩集
草野比佐男さん(1927~2005年)は歌人として出発した。やがて小説に転じ、農業・農村評論で鳴らした。詩には「志はなかった」が、農民の出稼ぎ問題を告発した詩「村の女は眠れない」で広く世に知られるようになった。
本人が筆を執った『いわき市史』文化編〈詩〉の部には、「草野の詩は十年周期で間歇」したとある。先日、その30代初期に噴き出した『造林詩集』を読んだ。そのころ、平に住んでいた真尾倍弘・悦子さん夫妻の氾濫社から出した。昭和37(1962)年1月のことである。
高度経済成長政策が展開される前の、農業が、林業がまだ希望に満ちあふれていた時代の作品だ。山の斜面に杉苗一万本を植える過酷な労働だが、30年後には大きくなった杉が暮らしを保障してくれる、という夢があった。造林の喜びが全編を貫いている。たとえば、「植樹 作品3」。
〈杉苗を植える。/一尺とすこしの。/すなわちおれの膝小僧の高さの。//けれども。//植えた途端におれの夢想を。/ぐいぐいぐいぐいぐいぐい伸び。//(ほう。あれが東京タワーかい。/ちつちやいちつちやい。)//朝日がてれば。/影は日本海の怒涛のうえ。/夕日になればぐるつと廻つて。/太平洋の。/うえ。〉
昭和40年代以降、農業・林業を取り巻く情勢は一変する。減反と外材輸入が進む。草野さんの、山里からの告発(評論活動)が始まる。草野さんの孤立無援の闘いを書物で知る者としては、若いときの『造林詩集』の希望がいささかの救いに思える。
月遅れ盆に義叔父の新盆で三和町へ出かけた。途中、草野さんの住み暮らした渡戸地区の杉林を眺めた=写真。国道49号の両側は行けども行けども杉林。三和は杉の一大造林地だ。
話変わって、草野さんは晩年、草野心平批判を展開する。が、30代初期にはむしろ親しんでいたのではないか。『造林詩集』の作品はすべて、心平の作品と同じく行末に句点「。」が付されている。そんな共通項があることも分かって面白かった。
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