『草野心平日記』(全7巻)には「宿酔」の字があふれる。「宿酔」の連続だから、「五日酔い」にも「六日酔い」にもなる。たとえば、昭和39(1964)年11月26日「五日酔也」、翌27日「六日酔気分」と書く。このとき、心平は61歳。一般人なら定年退職をして、飲み方も静かになるころだ。
心平は違っていた。還暦を過ぎて飲み方がピークを迎える。70歳になろうとしている昭和48(1973)年3月3日には「ああ、深酒はすまい。昔は自分にとって一年とは百八十五日だった。それでもなんかノンビリしていた。宿酔の翌日はまるで駄目なので、ここ数日のようなからだの状態では、また元の百八十五日にもどってしまう」
宿酔の日は仕事にならない。だから、1年は実質185日。私も宿酔にはなるから、心平の一年の数え方は理解できる。とはいえ、1年の半分は宿酔というのはけた外れだ。いや、それが心平流、といえばいえるか。
川内村にある天山文庫=
写真=は、その意味では酒まみれの都会から脱出して再生を図る格好の場所だった。川内に着いたばかりのころは足もとがふらついていたのが、帰京するころにはしっかりとした足どりになる――心平に身近に接した村民の述懐である。
心平自身も、ある年の夏は2カ月近く滞在し、新詩集ができるほど詩を書き、校歌をつくり、文章を書いた。「自分としては頑張った方だと思ふ」と書く。二日酔いになると、どういううわけか心平の日記の記述が頭に浮かぶ。
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