2011年4月7日木曜日
糠床異変
一年中、漬物を欠かさない。単純化して言えば、夏場は糠漬け、冬場は白菜漬け。合間に旬の野菜の一夜漬けなどが入る。私がつくる。11月の声を聞くと白菜漬けの準備をし、5月の大型連休が終わると糠漬けを再開する。朝昼晩の食事に漬物があればいうことはない。
白菜漬けを始めると同時に、糠床は表面に厚く塩を振って冬眠させる。ところが、冬も糠漬けをつくっている、という知人がいた。白菜漬けと糠漬けを交互に食べるのだという。晩秋の漬物談議に刺激されて、私も今冬初めて糠床を眠らせずにかき回しつづけた。
とはいえ、やはり厳寒期。ゾクッとするほど糠床は冷たい。当然、乳酸菌の動きも鈍い。大根やニンジンが漬かるまでには、夏場の2~3倍の時間はかかる。
「3・11」以後、原発事故に怯えて9日間の避難所暮らしを経験した。3月23日に帰宅し、残り少ない白菜漬けを甕から取り出したあと、甕を洗って片づけた。白菜漬けはこれでおしまい。例年より一カ月以上早いが、糠漬けに切り替えよう――そう決めて糠床をのぞいたら、あれれ、アオカビがびっしり生えていた。
まだ寒気が残るとはいえ、糠床は10日以上も酸欠状態だった。それで表面が腐敗したのだ。
緑色のアオカビの層はまだ1ミリ程度で、内部の糠味噌は茶色いまま。生きている。胞子が飛ばないように、慎重にお玉で糠味噌ごとアオカビをかき取る。どこにもアオカビのかけらが見当たらないのを確かめ、布を濡らして甕の内側をきれいにしたあと、糠床をかき回した。
その後、アオカビは発生しない。ぎりぎりで糠床はふんばり、生き延びた。復活した最初の糠漬けはカブとキュウリ=写真左。三和の直売所「ふれあい市場」で買ったキュウリの古漬けを塩出しして刻み、糠漬けができるまで数日間のつなぎにした。
「3・11」は広域的・複合的大災害になった。加えて、放射線物質が漏洩し、多くの「原発難民」が出た。それぞれの家に受け継がれてきた食文化が分断され、あるいは破壊された。
声優の大山のぶ代さんは俳優座養成所時代、母親の形見の糠床を守って貧乏生活をしのいだ。夏目漱石の家の糠床は江戸時代からの歴史を持つ。孫の末利子さんはその糠床とともに、「歴史探偵」半藤一利さんに嫁いだ。
有名人だから引き合いに出したが、糠床についてはそれぞれの家にそれぞれの歴史がある。生きた食文化の象徴だ。その豊かな庶民の食文化が「3・11」で相当失われたのではないか。そう思われてならない。
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