2011年4月19日火曜日
線量計
日曜日(4月17日)は朝のうちに墓参をすませ、その足で夏井川渓谷へ出かけた。いつもの休日のように森を巡り、無量庵の菜園に立つ――「3・11」以来できなかった「普通のこと」をしたい、いやしなくてはという思いに駆り立てられる。
花見も「普通のこと」のひとつ。小川諏訪神社に寄り道をし、満開のシダレザクラを眺めた。樹齢500年、市指定天然記念物だ。拝殿に沿って長く延びたピンクのシャワーを仰ぎ見ては、だれかれなくケータイでパチパチとやっている。例年よりは少なめとはいえ、行楽客がいっぱい詰めかけていた。
非常時である。みんな打ちひしがれている。同じ青空でも、「3・11」以後はとても素直に仰ぎ見られない。が、青空の下でサクラが咲き競っている。その花を見に来る。自分を励ますように。
そのあと――。地元の人がそうするように、夏井川渓谷へは迂回路を使わず、自己責任で直行した。無量庵の対岸のアカヤシオ(イワツツジ)は、奥山まで花をつけていた。満開だった。しかし、行楽客はほんの数人。それも時折、現れる程度だ。行楽客に気兼ねをすることなく菜園の草むしりに精を出すことができた。
およそ2時間。カミサンは無量庵の片づけをすませ、私は草むしりを終えるころ、タイミングよく近くに住む「ホロスケ」氏夫妻がやって来た。「来ているかなと思って」。花見を兼ねての来庵だった。「もう花を独り占めだね」。しばらく4人で花を眺めながら雑談した。(夏井川溪谷で花見といえば、アカヤシオのことである)
夫妻は原発問題に詳しい。線量計を使い、あちこちで記録を続けているという。無量庵の庭の数値は0.291マイクロシーベルト=写真。爆発があった3月12~15日ごろはともかく、現時点では低めに推移している。花見のあと、家に入ってお茶を飲んだ。話はやはり「3・11」と、終わらない原発事故に終始した。
なにかが終わるとしても、終わらないとしても、悲観的に考えて楽観的に行動する――それにつきる、という点で一致した。
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