2011年4月28日木曜日
土蔵解体
わが家と道路をはさんで斜め向かいにある家の土蔵が解体された。「3・11」で傾き、「4・11」「4・12」でさらにダメージを受けた。あとで丸太3本を支えにしたが、それは解体作業中に崩壊するのを防ぐための措置だったろう。
真壁の土蔵を板で囲い、瓦で屋根を葺いた、重厚だが温かみのある「歴史的建造物」だった。幹線道路沿いには、ほかに土蔵は見当たらない。歩道側の生け垣とよく合い、独特の雰囲気を醸し出していた。土蔵の前を下校中の小学生が通る。絵になる光景だった。
ブロック塀で仕切られた駐車場が土蔵に隣接してある。「3・11」以後、車の持ち主は塀から5メートルも離れて車を止めるようになった。土蔵が崩壊すればブロック塀ごと車が押しつぶされる。容易に想定される事態だ。その危険性はひとまず解消された。
あの日。外に飛び出すと、近所の石塀が崩れ、あちこちで屋根瓦が落ち、向かいの土蔵が傾いていた。消防の車が来て、「人的被害は?」「ない」=写真=で、消防は次のところへ移動した。
夏井川河口からは数キロ入った内陸部。大津波の被害は免れた。河口が砂で閉塞しており、それがかえって今回は波の力を減衰する“防波堤”の役目を果たしたか。
あれからきょう(4月28日)で四十九日。原発に怯えながらの生活が続く。この間にいろんな人の死を耳にした。行方不明の話も聞いた。
ある飲食店では、災害支援のカードを首から提げたシャプラニールの職員に、レジの男性が声をかけた。「富岡町には入らないんですか。両親がいなくなりました。誰も捜してくれないから、僕が捜しに行って母親を見つけました。父親はまだ見つかりません」。黙って男性の話を聞くしかなかった。
土蔵が取り払われると、そこはノッペラボーになった。風景が欠損した。物のいのちも含めて、鎮魂の合掌をする。
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