2011年4月1日金曜日

原発難民⑤


【人材リスト】
国立那須甲子(なすかし)青少年自然の家の避難民は一時、浜通りと近辺からやって来た人たちで700人に達した。そのころから、施設の呼びかけに応じて避難民がボランティア活動を行うようになった。

3月16日朝には雪かきボランティアが、次いで寝泊まりしている部屋の近くのトイレ清掃やごみ置き場の片づけを買って出る人が増え、やがて食堂にも配膳の手伝いをする女性たちが顔をそろえた=写真

救援物資が届くようになり、荷下ろしボランティアを募る館内放送が初めて流れたのは3月17日。確か山口県からの救援物資だった。みんなで「地の塩」を手渡ししながら、テレビCMで流れている、金子みすゞの<「遊ぼう」つていふと/「遊ぼう」つていふ。……>(「こだまでせうか」)を思い出して、ありがたくて、ありがたくて、ちょっと涙ぐむ。

18日には、施設の水道管が破裂するアクシデントが起きた。管工事の専門家を探す館内放送が流れた。避難している人は乳幼児からお年寄りまでさまざまな年代にわたる。何に困っているか、何が必要かも多岐にわたる。水道管破裂がきっかけかどうかは不明だが、それらに応えるためにも人材リストづくりが始まった。

施設を開放し、食事を提供するのは「公助」に当たる。と同時に、「共助」(避難民同士の助け合い)の流れも確かなものにしなくてはならない。大震災から一週間を過ぎたあたりで次の段階、避難民の「自治力」が求められる時期に入った。それはどこの避難所でも同じだろう。

第一歩がマンパワーの把握、人材リストづくりだった。保健・福祉・教育・電気・水道・土木・情報通信・事務・レクリエーション……、なんでもいい。施設が「共助」の機会を広げるためにも、誰がどんなウデや資格をもっているかを把握するのは大事なことだ。そのために施設が動いた。並行して避難民の要望を聞き取る作業も行われた。

必要な情報は館内放送後、玄関ロビーのボードに張り出される。一種の「壁新聞」だ。ロビーの壁には施設の目標が掲示されていた。<なすかしの森スローガン「あいさつから始まるさわやかな心>。絶えずスタッフからあいさつを受けて気持ちがなごんだ。それこそ「共助」の最初の一歩だ。

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