2011年4月14日木曜日

水道再復旧


「3・11」以来となる震度6弱の強い余震が、4月11日午後5時16分ごろと翌12日午後2時7分ごろ、いわき市を襲った。11日は即停電したものの、およそ1時間後に明かりが戻った。東北電力の“底力”に感心し、安心した。12日は大丈夫だった。

11日、水道は浴槽に水を貯めることはできたが、間もなく断水した。あの日からちょうど1カ月で再び振り出しに戻った。12日、平市街に用があって出かけたら、水道局本庁舎で人がひっきりなしに水をくんでいた=写真。不安がまた広がる。

飲料水だけではない。12日の余震では、いわき市田人町石住地内で土砂崩れが発生し、道沿いの民家2棟がつぶれ、3人が死亡、3人がけがをした。命まで襲いにきた。

現場は、鮫川渓谷を走る「御斉所街道」(県道いわき石川線)沿いの石住小中学校近く。V字谷だから民家の裏山は険しい。

ニュース写真を見る限り、一帯は杉山だ。崩落地はたぶん伐採跡。その中央付近から土砂が崩れ落ちた。ジグザグに筋が入っているのは伐採時の作業道跡だろう。石住の前の川を渡ると戸草川溪谷。そこへ毎年春、通った。なじみの場所でもある。

知人が田人に住んでいる。平の郷ケ丘で輸入雑貨店を開いていたが、「3・11」後、店を閉めた。ブログ<「kapu」の雑多日記>を見ていて、急ななりゆきに驚いた。ハローワークに通っているという。

12、13日と自宅近辺の惨状を伝えた。「魔物」(地震)が自宅のすぐわきを通り抜け、そのまま一直線に土砂崩れのあった石住へと抜けていった、という。地割れの写真を載せている。隣家は庭の真ん中を地震が駆け抜けたために家が弓なりに曲がってしまった、ともいう。その写真がすごい。庭から家の下へと地面がえぐられていた。

今度の余震は「浜通り」が震源。錦町で6弱だったことから、いわき市南部の地中に眠る「魔物」が「3・11」に刺激されて目覚めたのだろう。ここらあたりには魑魅魍魎がひそんでいて、一気にうごめきだしたとみた方がよさそうだ。いつ襲って来るかわからない。

とはいえ、緊張ばかりしていると体が持たない。周りに宣言して、あるいは何人かに告げて、毎日5分間は花と向かい合おう。ソメイヨシノはやはり、見てもらいたがっている。レンギョウも、スイセンも、ジンチョウゲも、そうだ。花見をしなくちゃ。

さて、長期断水を覚悟した水道だが、思ったより早く復旧した。近所にある平六小の水道は健在(というより、非常用地下貯水槽が設けられている)で、13日早朝、ポリタンクに飲料水を入れて帰宅したら、家の水道も「細いけど出るようになった」とカミサン。断水はわずか一日半で済んだ。

電気も水道もやられたkapuさんには申し訳ないが、「3・11」と違って市外からの援軍が腕を撫している。それで早期復旧が可能になったのだろう。多謝、万謝、拝謝だ。

浴槽に貯めた水は、スイッチを入れて「あつめ」のボタンを押したら、沸いた。断水したら、水は張ってあっても風呂はたけない――と思い込んでいたが、たけるのだ。

水甕にしなくてすんだので、2日ぶりに風呂に入る。が、のんびりはしていられない。浴槽につかっているときにドドドッときたら、たまらない。カラスの行水にとどめた。

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