2011年4月13日水曜日
阿武隈はどうなる
「東日本大震災」の大津波が引き起こした福島第一原発事故は、国際評価基準で最悪の「レベル7」(チェルノブイリ原発事故と同じ)に引き上げられた。いよいよ事態は深刻の度を増している。
菅首相が記者会見をした。言っている中身は6割了解、4割懐疑――そのくらいの感覚で受け止めることにする。政府を信じながらも鵜呑みにはしない。情報公開度は直観的にそんな程度と思うからだ(これはしかし、あくまでも私個人の受け止め方に過ぎない)。
政府は「避難指示」を出している半径20キロの圏外でも放射性物質の累積量の高い地域を、「計画的避難区域」に指定することを決めた。さらに、この区域に指定されない20~30キロ圏内については、「屋内退避指示」から「緊急時避難準備区域」に切り替えた。
いわき市は、市域の一部が「屋内退避」になっているが、これは解除された。つまり、いわきは今のところ問題なし?だから、扱いは「白紙」というわけだ。市はこれを受けて11日夜、市長が臨時記者会見をし、「いわきは安全」としたと、12日付のいわき民報にあった。“朗報”だ、このまま小康状態が続くならば。
福島県の太平洋側、浜通り地方は海岸部の西に阿武隈高地が連なる。「計画的避難区域」も「緊急時避難準備区域」も、海岸部を除けばすべて阿武隈の山里だ。阿武隈はこれからどうなるのだろう。
阿武隈の山里に生まれ、あるいは移り住み、たおやかな自然と向き合いながら暮らしてきた知人はむろん、住民は避難を余儀なくされ、避難の準備に振り回されながら、どんなにか悔しい思いでいることだろう。
グーグルアースで30キロ圏内をチェックする。阿武隈高地の最高峰、大滝根山(1,193メートル)=写真=はぎりぎり圏内に入っていた。わがふるさとの田村市常葉町は、国道288号沿いにある山根小学校は圏外。近くにある、カブトムシで知られる子どもの国ムシムシランドも、中野区立常葉少年自然の家も圏外だった。
母親の実家は田村市都路町(旧都路村)にある。30キロ圏内だが、20キロの避難指示区域よりは遠い。「緊急時避難準備区域」に入る。いとこは、いやその子は実家で頑張るのだろうか。
祖母の家はそれより西側、鎌倉岳の東南麓の山中にあった。一軒家だ。
昭和30年代前後の記憶である――電気はなく、夜はランプ生活だ。飲料水を含む生活用水は沢水。不便で、夜は怖くて、闇におびえることもあった。それがなぜか、幼少期の豊かな思い出になっている。
その一軒家は、今はない。杉林に変わった。グーグルアースで確かめることができる。
記憶は、放射能には汚されない。なに、いざとなったらランプ生活に戻ればいいのだと思いつつも、大好きな阿武隈の山里を往来し、人に会って話ができなくなるのかと思うと、悲しさと腹立たしさが募る。
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