2011年4月30日土曜日
見舞いを兼ねて
きのうの「みどりの日」、用事があって小名浜と四倉の知人を訪ねた。どちらも街中に家がある。津波で床上浸水の被害に遭った。見舞いを兼ねた訪問になった。
小名浜・古湊。1階の畳の上40センチまで海水につかった。玄関先で話をしたが、1階の部屋はすべて畳が取り払われ、床板がむき出しになっていた。知人にとっては、本は財産、いや心の糧そのもの。全集のような重い本は1階に置いておいた。それが大震災でバタバタ倒れたところに津波が押し寄せた。書庫の本も駄目になった。
四倉・西三丁目。店舗兼住宅が1メートル以上、海水につかった。小名浜の知人の家の壁もそうだが、四倉の知人の家の壁にも浸水した水位の跡が残っていた。店の奥の部屋はやはり畳が取り払われ、大工さんが入って作業をしていた。店内には眼鏡や時計が整然と展示されている。やっとそこまで整えられたのだという。
わが家から小名浜へは海岸に沿った道路で行く。途中、豊間、永崎を通る。見覚えのある車が永崎の海岸に止まっていた。元の職場の後輩の車だ。家がそこにある。祝日で会社は休み。後輩が津波被害を受けた自宅に戻って作業をしているのだろう。
小名浜からの帰り、家をのぞいたら、後輩がいた。半壊よりひどい状況だろうか。目と鼻の先に海がある。コンクリート護岸と海岸道路の間には家が数軒。どういうわけか、そこだけ護岸が破壊された。
しばらくは避難所暮らしを余儀なくされた。近くの高台に親類のセカンドハウスがあり、今はそこで暮らしている。これも要る、あれも要る。一度は捨てようと思ったものでも必要になって、家から持ち出しているという。
「いわき七浜」に限ったことではないが、海岸部はことごとく津波被害に遭った。北から末続、久之浜=写真、四倉、新舞子、沼ノ内、薄磯、豊間、永崎、小名浜、小浜、錦・関田須賀……。被害を「統計」としてみてはいけない、一人ひとりの被害を、一軒一軒の被害をこの胸に刻みこめ、と自分に言い聞かせる。
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