2011年4月27日水曜日

アースデイ東京③


東京行は、「アースデイ東京2011」に参加している「シャプラニール=市民による海外協力の会」のテントを訪ねるのと、銀座で開催中の「阿部幸洋版画展」=写真=を見るのが目的だった。4月24日がちょうど版画展の最終日だった。

「アースデイ東京」の会場は渋谷・代々木公園。午後2時にはシャプラニールのスタッフに別れを告げ、JR山手線で原宿から新橋へと移動した。

新橋駅銀座口から徒歩6分、とある銀座六丁目の画廊を目指すものの、遠回りしてしまったらしい。歩道に立っていたタクシー運転手に松坂屋の場所を聞き、松坂屋の裏では道路を清掃しているおじさんに銀座六丁目郵便局の場所を聞いて、ようやく局と並びの画廊にたどり着いた。

ネット情報によれば、画廊の入っているビルは関東大震災の翌年(大正13年)に建てられた。高層ビルの谷間に残った銀座の小さなビルだ。5階建てで、エレベーターは扉が手動式。勝手がわからない。ギャラリーはすぐ2階にある。階段を利用した。

画廊の経営者は、阿部の企画展を手がける画廊に長年勤めていた女性で、その画廊で一度お会いしたことがある。独立して画廊を開き、版画の個展が実現した。新旧の作品がスペインから届いた。

経営者とカミサン、合間に私。亡くなった阿部夫人のこと、スペインで阿部を助けるラサロ君のこと、今度の「東日本大震災」と原発事故のことなどを、涙を流しながら語りあった。

東京ではあの日、電車がストップして10万人を超す人が「帰宅難民」になったと聞く。首都圏の人間は、そのあと「計画停電」も経験した。

画廊のあるレトロビルの地下には老舗バーがある。近所にもバーがある。あれ以来、バーのようなところは客足が途絶えたという。見るからに高級だから、庶民は行かない。庶民ではない人が行く店なのに、彼らは庶民と同じように寄りつかなくなった。

日曜日は、銀座の中央通りが歩行者天国になる。いわきへ帰るには東京駅へ行かなくてはならない。東京メトロを利用することにして、中央通りを歩いた。が、そんなに人が出ているとは思えない。人出は以前の十分の一に減った、という画廊主の言葉の通りだった。

それはしかし「停電」のためであって「原発事故」のためではない。同じ「巣篭もり」でも、福島の人間の気持ちは違う。とりわけ、いわき市民は自分の責任で―つまり、勝手に―暮らせ、そう宣告されたようなものだ。


自然災害と、原発の悪魔的な人災と、それが押しつける「心災」に、たぶんみんな病んでいる。「3・11」前の暮らしを取り戻したい、これは夢であってほしい――28日に「四十九日」がくる。彼岸へ行かなくてもよかった命が浮かばれない。その人たちのためにも、心の賠償のためにも、東電と国に対して物申すときがきた。

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