2011年4月17日日曜日

狂風


津波被害に遭った知人の生活支援になればと、きのう(4月16日)、解体を予定しているカミサンの幼なじみの家へ出かけて洗濯機などを“回収”した。若い仲間が軽トラを出してくれた=写真

ソメイヨシノが満開の、週末の土曜日。朝から晴れ上がって気温が上昇した。あとで別の若い仲間から聞いたが、いわき市内の勿来の関公園は花見客でにぎわったそうだ。不思議なことに、この日は前日までと打って変わって、目にするサクラすべてがきれいに見えた。輝いていた。楽しい花見になったことだろう。

海辺に住む知人には、洗濯機のほかに食器類を確保した。若い仲間はテーブル、タンス、板戸などを持ち帰った。私は再び、昭和初期の本数冊を選んだ。

お昼には帰宅し、食事をして横になった。すると天気が急変し、雷雨がきた。あわてて車の窓を閉めに飛び出す。にわか雨だった。それが通過したあとは青空が戻り、猛烈な風になった。めったにないほどの“凶風”だ。あとで知ったが、いわき市好間町下好間では竜巻が発生した。(17日の福島気象台の現地調査では、竜巻の可能性はあるが特定できなかったという)

“凶風”と感じたのにはわけがある。季節は同じ春。昭和31(1956)年4月17日夜=55年前の今日、阿武隈高地の常葉町が大火事に見舞われた。

日中は、磨きをかけたような青空になった。やがて風が吹き荒れ始める。東西に延びた一筋町だ。満7歳。遊んで、遊んで、夕方、家に帰るころには澄んだ青空が燃えだし、やがて「北斎ブルー」に染まった。風はますます勢いを増し、ある家の風呂の煙突からポッと出た火の粉をとらえて町を燃やし尽くす。きのうの風には、そのとき以来の怖さを感じた。

たまたま車で出かけたが、ハンドル操作が難しい。地震でそうなのか、強風がそうさせるのか――判断に迷うほどの狂暴さだ。畑の土が吹きとばされて砂嵐のようになっているところもあった。

地震・雷・火事・津波の次には、大風・竜巻だ。加えて原発事故がある。あと、残っているのは何だろう。洪水? 「もう何でも来い、負けないぞ」。ここまで痛めつけられると、開き直って闘うしかない。そういう気持ちになるのだった。 

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