2011年6月15日水曜日

山里の線量を測る⑤


【常葉】今は同じ田村市だが、旧都路村と常葉町は「サカイノクキ」と呼ばれる峠が境だった。どちらも峠へと長い坂が続く。常葉側より都路側の坂道がきつい。中学生になると、自転車で都路の祖母の一軒家へ、母親の実家へ出かけるようになった。「サカイノクキ」から一気に駆け下る、「ダウンヒル」の爽快さは格別だった。

祖母の家は、サカイノクキからすぐの左手山中にあった。母親の実家はもっと下った集落の一角。帰りは「クライムヒル」だからきつい。何度も坂で止まった。峠の手前で息を切らし、切り通しに体をあずけて動けない人もいた。それほど長い坂が続く。

その峠が常葉の“防護壁”になったのだろうか。常葉町内の東の郊外、石蒔田で0.262マイクロシーベルト/時と、線量の数値が都路に比べてぐっと低くなった。わが実家(上町)の台所0.092、理髪店内0.110、裏の庭の土0.386、0.264。知り合いからもらって、食べるかどうか思案中だったという茎立ち菜は0.094。少しも問題がない。

そのあと、町内5カ所7地点で線量をチェックした。七日市場には青田が広がっていた。川内で、都路で、常葉の一部・山根で乾いた田んぼを見てきた人間には、水が張られ、稲苗が整然と植えられた田んぼは、キラキラと輝いてみえた=写真。奥にそびえるのは鎌倉岳だ。

実家の裏山、舘公園にも足を向けた。天守閣をかたどった展望台は、土台部分がかなり痛めつけられたようだ。南側のがけには地割れも起きている。東隣の広場で0.406。これが常葉で測った最高値だった。

線量を測った以上はデータを残しておかなくては――。母親の実家と常葉のデータをメモにして兄に渡した。原発事故と放射線量について考える材料にしてもらえるとありがたい、そんな気持ちからだ。とにもかくにも、ふるさととその近辺のデータがつかめたのは収穫だ。兄や散髪に来た近所の人たちもデータに見入っていた。

さて、実家の地震の爪痕は? 壁が崩れたという2階を見る。白壁に似せたベニヤ板が張られていた。きれいなものだ。同じように壁が崩れた被災者にはお勧めの応急措置だ。

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